2025年11月17日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年10月26日

(2025.7.2~9.24 85日間 総費用34万2000円〈航空券含む〉)

お一人様テントへの差し入れに恐縮する

ダーダネルス海峡の要衝都市チャナッカレを目指して幹線道路の路肩を ひたすら走る。この先10キロくらいでダーダネルス海峡にでる

 7月11日。古都ブルサから20キロほど西の地点で夕刻になった。大きな団地の裏手の小川の畔の草地にテントを設営して8時半頃就寝。外はまだ明るくテント内は蒸し暑く汗びっしょり。9時頃うつらうつらしていると女性の呼ぶ声が。テントから顔を出すと2人の女性が買い物袋を提げてニコニコ顔。7時半頃テントの近くを通りかかったので挨拶した2人だった。食糧の差し入れに来たのだった。後で中味を見るとバナナ、クッキー、ポッキー、栄養ドリンク、ウエットティッシュだった。

 その後も住宅地の児童公園や空き地で野営していると近隣住民から差し入れを頂くことが多々あった。ある時は児童公園の前の邸宅の御主人が朝一番でトレーにトルココーヒー、卵料理、トースト、フルーツ盛り合わせを乗せて朝食を持ってきてくれた。またある時はモスクの管理人がやはり朝食を差し入れてくれた。モスクの庭で栽培したイチジク、オリーブの漬物が素晴らしく美味だった。

 海辺の別荘地では近くの別荘から夕食の差し入れがありフライドチキン、ピラフ、サラダを頂いた。受験勉強中の高校生の長男が差し入れを持って来たので話を聞いたら将来医者になるため猛勉強をしているとのことだった。

 やはりいずれの場合も最初は不法滞在外国人など不審者ではないかと心配していたが、日本人と分かって親日感情にスイッチが入ったように拝察した。

 また、ホテルやチャイハネではオーナーや従業員のご厚意で果物の盛り合わせやケーキなどを差し入れてもらったことも再三あった。これらの数えきれないほどの差し入れは日本の老人が炎天下自転車旅をしているので応援したいという励ましのメッセージであった。トルコの男性平均寿命は76歳なので72歳の筆者の年齢で自転車旅行しているのは驚異的で賞賛の対象になるようだ。

親日感情の源は『東郷元帥、山本五十六、トヨタカローラ、ワンピース』

ルマラ海の港町バンドゥルマから西へ50キロ走った海辺の田舎町の チャイハネ。やはり男だけの世界である

 7月12日。ウルアバト湖畔の風光明媚なギョルヤズ村を朝6時にスタートして12時間かけてマルマラ海の港町バンドウルマまで追い風を背にして走った。

 9時頃幹線道路沿いのガソリンスタンドの屋外のイートインスペースでイスタンブールから来た家族連れから声を掛けられた。日本人と聞いて一家はそれぞれに日本を絶賛。78歳の祖父は孫の青年の通訳で「トルコ人は皆日本人を尊敬している。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を全滅させた東郷元帥を知らないトルコ人はいない。私自身は山本五十六を大変尊敬している。彼は日本人の美徳を体現した偉大な軍人である」と演説した。

 孫の青年と父親は日本の技術力を賛美してトルコでも生産しているトヨタのカローラが世界一であると力説した。

 歯科医を目指している孫娘の大学生は「日本の漫画・アニメはトルコでも若者に大人気であるが深い哲学が背景にあり娯楽と同時に人生の指標を与えている」と語った。

 やはりオスマントルコ時代からの宿敵ロシアを日露戦争で破ったことはトルコ人の親日感情の源泉の一つの要素であろう。ポーランド人の親日感情の源泉と同様である。ちなみにポーランド海軍の魚雷艇の水兵さんの話ではポーランド海軍の教育課程では『宮本武蔵の五輪書』、『葉隠れ精神』、『日露戦争の日本海海戦』は必修とのこと。

 そして長年欧州の下請け工場とされてきたトルコの産業人が日本の技術力に憧れ、トルコの若者世代は現代日本のサブカルチャーに共感している。こうした様々な要因がトルコ国民の親日感情を形成しているのだろう。

 一家と一緒に彼らが持参した野菜サラダ、トルコ風チーズ揚げパン、トルコ風パイを頂いた。

明治のトルコ軍艦海難事件
『トルコ人は日本人が困っていたら助ける義務がある』

国民の愛国心と政府への求心力を高めるために全国的に国旗と建国の父ケマ ル・アタチュルクの肖像が掲揚されている。アタチュルク50歳頃のこの肖像写真は人 気があり自宅の窓に掲揚したりカレンダーに載っている

 8月18日。筆者はロードス島の対面にあるフェティエ市内の自転車に一縷の望みをかけて飛び込んだが生憎休日で閉まっていた。自転車の後輪のスポークが下りの急斜面での衝撃で2本破損してしまい前日から何軒も自転車屋をまわって修理を打診してきたが「部品在庫がない」「スポーク交換の経験がない」という理由で空振りであった。

 その自転車屋のオーナーのアリは偶然筆者が自転車を押して歩いているのを見かけたので追いかけてきたという。事情を話すと「トルコ人としては困った日本人を助ける義務がある。絶対に直すから安心しろ」と店を開けて修理を始めた。

 2時間かけて只同然の代金で難しいスポーク交換を完了するだけでなく微妙なブレーキ調整、車軸の歪みの修正、変速機のねじれの修正まで無償でやってくれた。車軸のゆがみや変速機のねじれは日本の有名な自転車専門店でもメカニックが“修理不可能”と匙を投げた難物であった。アリの職人気質と高度の専門知識と男気に惚れてしまった。

 アリの言う「トルコ人の義務」とは1890年に紀伊半島で発生したトルコ海軍帆船エルトゥールル号遭難事件における日本の現地住民による必死の救援活動への恩返しという趣旨である。エルトゥールル号乗員656人中、現地住民に救助されたのは69人という大惨事であった。そして明治天皇は69人を海軍軍艦2隻に分乗させてイスタンブールに送り届けている。

 後日談がある。1985年のイラン・イラク戦争中にイラクが無差別攻撃を宣言したため、イラン在住の日本人家族は、イラン国外へ避難することが出来なくなってしまった。当時法律上自衛隊機は国外での活動ができず、安全上の理由から日本の民間航空会社に日本政府は救援を要請できなかった。この時トルコ大統領はトルコ航空に指示して自国民よりも日本人救援を優先して日本人家族215人をイランからイスタンブールに輸送させた。トルコ大統領は英断により100年前に日本から受けた恩を返したのだ。

 イスタンブールの老舗レストランのオーナーによるとトルコ海軍と海上自衛隊は現在でも緊密な友好関係を維持しており昨年秋にも海上自衛隊艦艇がイスタンブールに親善のため寄港して自衛隊の司令官以下幹部がオーナーのレストランで食事会したと写真を見せてくれた。


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