2025年12月5日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年8月31日

(2025.2.9~5.9 89日間 総費用66万7000円〈航空券含む〉)

チリ最南端、プンタ・アレーナスの国営石油公社の労働組合クラブ

 マゼラン海峡に面するプンタ・アレーナスは1914年にパナマ運河が開通するまでは大西洋と太平洋を結ぶ唯一の航路の寄港地として栄えた。現在はパタゴニアや南極を巡る豪華クルーズ船の寄港地となっている。

 3月5日。プンタ・アレーナスの展望台を目指して散歩していたら Club de Sindicato ENAP(ENAP労働組合クラブ)の建物があった。ENAP(Empresa Nacional del Petróleo)はチリ国営石油公社の略称である。スペイン語のシンジケートは労働組合を指す。市街地を一望する一等地に組合員の懇親クラブを運営する“労働組合の力”を感じた。

 ENAPのプンタ・アレーナス支社は市内中心地にある。早朝にENAP支社付近で待機している数台のバスを労働者の送迎バスを見かけた。市内を循環して労働者をピックアップしてプンタ・アレーナス郊外の海岸の石油ガス掘削現場に運ぶのだろう。新しい外国製大型バスを眺めながら労働者が厚遇されているのだろうと推測した。

夜明け前、プンタ・アレーナスの街角で停車しているENAPの石油掘削労働者送迎バス

銅の輸出港の都市アントファガスタの公立保育園の保育士さんたちの抗議

 4月3日。海を見下ろす市街地に公立保育園があった。なにやら手書きのビラが何枚も壁に貼られている。「週40時間労働を守れ」「年間〇〇日の有給休暇を」「保育士にも人権はあるぞ!」など保育士たちの様々な要求・意見・思いが手書きの文字に躍っていた。保育士さんたちは公立学校教職員組合に所属しているらしい。

 日本でも給与水準引上げなど保育士の待遇改善が問題となっているが保育園で要求ビラを見たこともないし保育士さんのデモ行進も聞いたことがない。そもそも私立の保育園や保育所が多いから組合もないのだろうか。職能別組合があれば保育士の要求も組織化されるのではないか。

生産量世界最大のエスコンディダ銅鉱山を運営する豪州資源大手BHP社

19世紀の銅精錬所の遺構。手前は当時使用された蒸気機関車

 4月4日。アントファガスタの市街地から少し離れた場所にある19世紀の銅精錬所の史跡を見学。遺構の前の広場に博物館がありチリの鉱山業の歴史を展示していた。チリ・ボリビアとの“太平洋戦争”(1879~1884年)で両国から北部砂漠地帯を獲得してチリ領土に編入して銅鉱山が開発された。狭い坑道での作業に多数の児童が使役された。記念写真には鉱山労働者の大人と子供が一緒に写っていた。

 この博物館はエスコンディダ鉱山の権益を保有するBHP社がスポンサーらしくBHP社の環境保護・労働者福祉・地域社会への貢献などの取り組みを紹介するコーナーがあった。

 BHPのロゴマークを胸に付けたガイドの女性は労働者福祉の取り組みの最近の事例として2024年夏にエスコンディダ鉱山のストライキの長期化を回避するため労働組合と誠実に交渉して組合員に対してBHPが一時金支給額と組合員への融資枠拡大を受入れたと説明した。

 ネットで検索すると一時金支給額は3万2000ドル、追加低利融資枠は2000ドルとのこと。1ドル=145円とすると一時金は464万円に相当する。チリの平均所得は年間約1万7000ドルなので銅鉱山組合員(=正社員)の一時金は破格である。注)チリ国営銅鉱山会社のチュキカマタ銅鉱山で聞いた話では労働組合員への一時金は数年に一度支給される制度とのこと。同じ業界・業種なのでエスコンディダ鉱山の一時金も毎年ではなく数年に一度支給されるものと推測する。それでも破格の待遇である。

憧れの“鉱山の女王”(Reina de Minas)チュキカマタ銅鉱山

CODELCOから貸与されたヘルメットと安全ジャケットを着用した筆者

 世界最大の露天掘り銅鉱山チュキカマタはカラマ市街からバスで40分くらいだ。事前にチリ国営銅鉱山会社(”CODELCO”: Corporacion Nacional del Cobre, Chile)のカラマ事務所にメールで鉱山見学の申し込みをして見学日時を割当ててもらう手続きをする。

 4月7日。カラマ市街地から少し離れた事務所に行くとヘルメットと防護チョッキを支給される。30人くらいの見学者が全員集まるとガイドからチュキカマタ鉱山の来歴と安全注意事項の説明があった:

1900年 銅鉱脈発見

1915年 米国系企業操業開始。その後米国のアナコンダ社が買収。

1950年代 30人以上の死亡事故発生。構内に“殉教者”の慰霊碑がある。

1960年代 チリ政府が51%株式を取得して国営化。アナコンダ社が引き続き操業。

1971年 アジェンデ社会主義政権は銅鉱山を無償接収して米国と対立。米国人技術者全員引き揚げ。

1973年 米国の支援で軍事クーデターに成功したピノチェト将軍が政権掌握。ピノチェト軍事独裁政権はアナコンダ社に補償。現在に至るまでCODELCO傘下の最大の銅鉱山として操業。

 CODELCOの送迎バスで砂漠の一本道を走り赤茶けた丘陵地帯に入るとチュキカマタ銅鉱山だ。露天掘り銅鉱山は巨大なすり鉢状になっている。巨大な鉱石運搬トラック、クレーンが玩具のように見える不思議な世界だ。

ゴーストタウンには1960年代アメリカ文化が時空を超えて

チュキカマタ銅鉱山のゴーストタウンの一角に展示されている1960年代 に使用された巨大クレーン

 チュキカマタ銅鉱山では1980年代以前には職員労働者は鉱山の麓に住んでいた。生活環境が厳しいことからCODELCOは職員労働者の住居をカラマに建設して全員が移住した。そのため鉱山の麓の住宅や施設があった場所はゴーストタウンになった。

 ゴーストタウンを歩くとルート66旧道沿いの“古き良き時代のアメリカ”の雰囲気を感じる。1950~1960年代の米国そのものだ。重厚な石造りのワシントン・ホテル、ピンク色の劇場、総合球技場のアナコンダ・スタジアム、テニスコート、スイミング・プールなど往時の米国人の生活を彷彿とさせる。そして小さな商店街はルート66そのものだ。アナコンダ社の米国人はリトル・アメリカをチリの砂漠地帯に創造したのだ。チリ人の労働者も快適なリトル・アメリカの生活をエンジョイしたのではないか。ガイドはこの鉱山町を「アメリカ、チリ、鉱山の三つの文化のフュージョン」と表現したが当を得ている。

ゴーストタウンの劇場。左側がアナコンダ・スタジアム。背景に見えるのは いわゆる ボタ山。日本の炭鉱のボタ山とは比較にならないスケールだ

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