この夏の参院選で参政党が予想外の集票をした以降、日本では急速に「外国人問題」が話題とされるようになってきた。「外国人が大勢入ってくると、日本が日本でなくなる」といった、まるで江戸末期の攘夷運動のような感情論が流行している。こうした言い方には、以前は自制心が効いていたはずなのだが、いつの間にか野放しになっている。
一番の問題は、そのような感情論の奥底に「インバウンド旅行者」の購買力により、日本の国内観光に関わる価格がアップして、日本人旅行者が「買い負け」していることへの強い憤りがあることだ。そうであるならば、まずもって憤りの方向が間違っている。
本来であれば生産性が上がらず、グローバル経済との連携ができない日本経済の構造にこそ怒りの矛先は向かうべきであり、怒りのエネルギーによって維新開国の際に実践されたような社会と産業の構造改革を進めるべきだ。
それができないばかりに、日本文化に心酔しつつ日本の国内総生産(GDP)に貢献しているインバウンド旅行者に嫌悪の目を向けるというのは、お門違いも良いところである。もちろん、日本人が経済の低迷に「我慢ができない」という心境に至ったのは悪いことではないが、その感情を排外主義に振り向けるようでは、そのような集団は政治家ではなく、煽動家と言われても仕方がないであろう。
いずれにしても、「外国人問題」という括りで排外感情を口にすることへの自制が外れてしまったのは事実である。日本人の心情が変化し、排外的な言動が許されるようなムードがあるというのも、残念ながら否定できないようだ。けれども、「外国人問題」のそれぞれを見ていくと、個々の問題には何の関連もないことが分かる。
全く関係のない事象が散発的に起きており、多くの場合は行政や社会が対応を誤っているだけだ。つまり、事実ということに目を向けるのであれば「外国人問題」などという「問題」はないと言える。
