2025年12月14日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2025年11月26日

伝わらなかった「五四青年服」の意味

 また、劉勁松氏の服装や態度は、服飾・身体表象をめぐる中国と日本のズレを明らかにしてしまった。

劉勁松氏(右)の服装や態度にはどのような意図があったのか(JIJI)

 かつて清末から1910年代の民国初期にかけて、おびただしい数の清国・中国留学生が日本に渡り、近代日本の様々な事物を吸収したが、彼らは当時一般的だった詰め襟学生服を当然のように着用し、その文化を中国にも輸入した。

 そして1919年、中国で「五四運動」が起こった。これは、19年の第一次世界大戦・ワシントン講和会議の結果、ドイツの在華利権が日本に渡ることに怒った大学生が、日本ならびに当時の弱腰な北京政府に対する怒りを表したものである。中国国内では「中国人民が内外の圧迫と腐敗に対して怒り、人民を中心とした反帝・愛国の新中国建設に向け立ちあがった、中国現代史の輝かしい出発点」として教育され記憶されている。

 以来、詰め襟の学生服は日本の圧迫に抵抗する「五四青年服」となった。今日の中国では「正装=背広=西服」が一般化した中、孫文・毛沢東・鄧小平ら歴史的人物の肖像画に見られるかつての正装・中山服は、「指導者の服装」として重みが増しているように思われる一方、「五四青年服」は、2021年の中国共産党創建100周年にあたり、当時を回顧する愛国コンテンツが大量に流布した中で改めて脚光を浴びた感があり、指導者よりも若干へりくだった、軍人ではなく文人としての立場で「抗日」を表現する服装として認知されているように思われる。

 そして中国は何と言っても、紀元前以来このかた、何事もエリートが上下関係を明確にして社会を整えることを良しとする儒学の伝統を濃厚に伝える国である。エリートが人民の「前衛」「先進性の代表」として中国を導くと称する共産党の専政が続く中では、相も変わらず上下関係のピラミッドを常に可視化して序列を明確にすることに莫大なエネルギーが注がれている。劉氏が日本との外交交渉で「抵抗の服装」を着用し強い態度をとることは、中国における政治文化の当然の発露であり、逆にこのようにしなければ中国国内からの強い批判にさらされる可能性もある。

 ところが日本にはこのような政治と服飾の関係は存在しないし、立場の上下を問わず相手を尊ぶことが美徳とされている。ゆえに日本では、劉氏の態度は即座に1980〜90年代の所謂ツッパリ・ヤンキーカルチャーとの類推で捉えられてしまった。国民民主党の榛葉賀津也幹事長が11月21日の記者会見で「田舎のヤンキーでもあるまいし」と発言したのは的を射ていると言えよう。

習近平〝独裁〟の肥大化で進む「台湾統一」

 このような成り行きに対し、中国側はショックを受けている可能性が高い。なぜなら中国の一連の対応は、中国側が「奉示」という表現を用いていることからして、習近平氏が直轄し、その最高指示を奉って動いている事柄だからである。

 2022年10月の中国共産党第20回党大会の場では、習近平氏を中国共産党の核心として擁護すべきこと、ならびに党中央の権威と集中・統一的指導を擁護すべきこと(二つの擁護)が党規約に書き込まれており、全ての党員は習近平氏に対して忠実で言行一致でなければならない(中国政府の高官は基本的に党員である)。「国家の統一」と「中華民族の偉大な復興」に関する問題は全て習近平氏が自ら指導する事柄である以上、全ての党員・官僚は一糸乱れず習近平氏の意向通りに発言し行動しなければならず、そこからの逸脱は一切許されない。

 しかも最近は「反腐敗闘争」の流れの中で、習近平氏に近い「福建閥」ですら全く安泰ではなく、「銃口から権力が生まれる」中国共産党権力の究極の源泉である中央軍事委員会のメンバーも粛清で消えた分が補充されないなど、習近平氏の個人独裁が極限に達しつつある。


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