エーゲ海から地中海に至る風光明媚な沿海部に軍事基地が多いのはなぜか
自転車で走りながらエーゲ海や地中海の絶景を楽しんでいると、突然フェンスで覆われた広大な軍事基地により絶景が中断されることが多々あった。シリアやイラクとの国境地帯に軍事基地を設けるのは当然であろうが、こんな平和な沿海部になぜ軍隊を駐屯させているのか筆者は不思議に思った。
後日、アランヤのホテルの大卒のマネージャー38歳に聞いて、沿海部の軍事基地の存在理由が理解できた。マネージャー曰く「よくよくトルコの地図を見てほしい。トルコは第一次世界大戦で英仏の手先となったギリシアにエーゲ海の島々を占領された。その結果エーゲ海の島々の大半を失った。レスボス島、ヒオス島、コス島、ロードス島などはトルコ本土から目と鼻の先だ。だから軍事基地が必要なのだ。油断すればギリシアは攻めてくる。キプロス島がいい例だ」と憤懣やるかたない口調で語った。
トルコ人はギリシア人が大嫌い、トルコにとりギリシアは不倶戴天の敵?
上述のホテルのマネージャーのようにトルコ人にギリシアについて聞くと、概してネガティブな評価である。トルコでは警察官が優秀かつ親日的なので筆者は各地で警察官と親しくなった。リゾート都市チェシメ近郊の警察署で6~7人の警察官と歓談中にギリシアの話題になったら罵詈雑言のオンパレードだった。曰く「ギリシア人は約束を守らず信用できない」「ギリシア人はずる賢く金儲けしか頭にない」「ギリシア人は欧米人におもねってヨーロッパ人気取りしているが欧米人からは軽蔑されている」などなど。
クシャダスのカフェのオーナーは「ギリシアが第一次大戦で英仏のお先棒を担いで参戦して連合軍の優勢に乗じてトルコ領のエーゲ海の島々を不当占拠して領土を広げた。第二次大戦後もキプロス島をギリシアに併合しようとした。トルコはギリシアへの警戒を怠ることはできない」と不信感を露わにした。
チャナッカレ在住の博学のトルコ紳士は用事があってアテネに行ったが、ギリシアの警察官のレベルが低いのに驚いたと語っていた。
やはりこうしたトルコ人のギリシア人評の背景には、オスマン帝国時代以来の長年の角逐があるのだろう。オスマン帝国時代にイスラム教の影響で金勘定に興味を持たないトルコ人支配層の代わり、財政や金融を牛耳ったのがギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人であった。政治的にもバルカン半島で最初にオスマン帝国に反旗を翻し独立宣言したのはギリシアである。
古代ギリシア植民都市の巨大な遺跡、ギリシア人の主人とトルコ人労働者
今回トルコ東部のエーゲ海から地中海沿いに自転車で走って驚いたのは、頻繁に出くわす古代ギリシア遺跡であった。大雑把な印象であるが、数十キロ毎に古代ギリシア植民都市の遺跡がある。主だった遺跡は国家が管理して外国人観光客にはユーロ建ての法外な入場料を課して外貨不足を補っている。しかし、あまりにも多くの遺跡が点在するので、かなり大きな植民都市遺跡ですら放置され野晒しなっている。
トルコはじめ、地中海や黒海沿岸の古代ギリシア植民都市は、ギリシア本土と連携して広大な交易商業ネットワークを形成したという。著名な観光遺跡としてベルガマ、エフェソス、ミレトス、クサントス、オリンポス、ペルゲ、アスペンドスなどが復元整備されているが、放置されている無数の遺跡も含めて円形劇場、神殿、市場、水道橋、浴場、地下貯水池などがあった。
巨石を運搬して彫刻して積み上げるという気の遠くなるような植民都市の建設を可能にしたのは、トルコの豊饒な土地から生産されたワインや穀物などの農産物であり、それらの交易で得た巨大な財力であろう。
植民都市では自由市民であるギリシア人の主人の下で、多数の奴隷や使用人が家事と労働を担っていたと教科書に書いてある。トルコ人の祖先は自由市民のギリシア人の下で額に汗して働いていたのであろうか。石造りの巨大な遺跡を見るたびにトルコ人の祖先の労苦が偲ばれた。
トルコ人とギリシア人が平和に共生するエーゲ海の夢の島
7月17日。チャナッカレのフェリー乗り場で出会った父娘は、ギョクチェ島に住んでいるトルコ人であった。ギョクチェ島はエーゲ海では珍しくトルコ領であるが、現在でも多くのギリシア人が住んでいるという。父娘は「島ではトルコ人とギリシア人は仲良く暮らしている」と強調した。事情は不詳だがギョクチェ島では住民交換は実施されなかったようだ。
後日各地でトルコ人から両国の歴史と反ギリシア感情を聞くたびに、残念ながら父娘の語った共存共栄がおとぎ話のように思われた。
以上 次回に続く
