2026年1月10日(土)

キーワードから学ぶアメリカ

2026年1月9日

例外主義と孤立主義

 米国外交の伝統について考える上では、建国の理念、そしてそれ以降の歴史を振り返る必要がある。英国からの独立を果たした米国は、神によって認められた共和国だと自己規定する傾向が強かった。絶対的な権力者である君主を擁する、腐敗した欧州とは異なるという発想を建国当初から強く持ち続けていたのである。

 この考え方は、初代大統領であるジョージ・ワシントンの告別演説に明確に表れている。この演説は、米国は世界の一部と永続する同盟を築くことを避けるよう提唱しており、一般的には腐敗した欧州と距離を置くことを強調する考え方だと理解されている。この理念を孤立主義と呼ぶ論者も存在する。

 だが、18世紀後半には経済のグローバル化はある程度進んでいたため完全な孤立は無理だったし、ワシントン自身も軍事・経済上の必要があれば、一時的な同盟を結ぶことを想定していた。ワシントンは、米国が単独で行動することを主張しており、その背後に米国は他の地域とは異なるという例外主義的な発想が存在した。

 この外交方針を対外的に表明したとされるのが、モンロー・ドクトリンである。ジョン・クインシー・アダムス国務長官が起草したこのドクトリンは、当時の時代背景と米国例外主義的な発想を反映していた。

ジョン・クインシー・アダムス(jklamo Cleaned and enhanced by Julielangford, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 1820年代初頭は、中南米でナショナリストが革命を起こし、スペインの支配が弱体化しつつあった。そのような状況でフランスやロシアの介入を恐れたモンローは、欧州は地理的に離れた西半球に干渉してくるべきではないと主張した。

 その代わり、当時起こっていたギリシャ内戦などの欧州の問題に米国も関わらないと表明したのがモンロー・ドクトリンだった。この原則については学術的には多様な解釈が存在するが、一般的には米国と欧州の相互不干渉を提唱したものだと考えられている。

 なお、19世紀の米国は先住民の土地を侵奪して西部への拡張を続けたが、それを神に選ばれた米国が偉大な文明と科学技術を未開で野蛮な地に広げているとして正当化していた。19世紀には、単独主義と例外主義を米国の基本原理だとする発想が強かったのである。


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