2026年2月4日(水)

Wedge REPORT

2026年2月4日

 「悪」を叩くことは、一時の感情を浄化し、承認を得るための「感情労働」としては機能する。しかし、それは現実の子供たちを救う「支援」とは決定的に異なることに留意しなければならない。

 ヤングケアラー問題においても、必要なのは「誰が悪いか」を特定して排除する断罪のロジックではなく、「どのようなリソースがあれば、この家族の負担を軽減できるか」という、地に足の着いた想像力であるはずだ。

「やさしさ」を「助け」に変える必要性

 今回の『探偵!ナイトスクープ』を巡る騒動が私たちに問いかけたのは、家族というプライバシー性が高い空間や関係性に、どこまで外部の人間が関わるべきかという問題であると共に、「やさしさ」「正しさ」を安易に断定せず、常に問い続ける重要性を示している。「子どもを守る」一つにしても、万能の処方箋は無い。

 現代社会では痛ましい児童虐待事件のニュースも相次ぐ中で、いかに被害を防いでいくか、何が真の助けとなるかは一律ではない。たとえ断片的なヒントであっても、それが子どもからのSOSサインである可能性も否定はできない中で、冷静に努めることが常に最善手とも限らない。

 ただ少なくとも、何らかの事象に対し直接会う訳でも無く、大した関心も無い他人が遠方から「やさしく」糾弾し、コンテンツとして消費するだけでは、「優しい」結末には直結しないだろう。かつて筆者が経験したヤングケアラーとしての生活の中で最も支援となったのは、他者からの論評ではなく、対面で事情を静かに聞き、ときにさり気なく、無理の無い範囲で助力してくださる周囲の大人達であった。

 もちろん、これもまた一例でしかない。しかし、外部から見える断片だけで「正解」を断定できないという一点において、この問題は共通している。他者から与えられた「物語」を消費する形での瞬間的な怒り以上に、長期的に関心を持ち続け常に知ろうとすること、一人ひとりが急進的な対策ではなく、無理の無い範囲での支援を重ねていくことが重要ではないだろうかと考える次第である。

 今回の騒動が示したのは、「子どもを守る」という目的が、必ずしも「家族を糾弾する」という手段と一致しないという事実である。断片的な情報から善悪を決め、遠方から「正しさ」を投げつけることは、問題解決ではなく二次被害を生みやすい。

 必要なのは、誰かを悪者にして終わる物語ではなく、家族の負担を減らす具体的な支援である。間違いを認め、軌道修正し、必要な資源につなげる——その回路を社会の側が持つことこそが、「やさしさ」を現実の助けへ変える条件になるだろう。

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