2026年2月24日(火)

Wedge OPINION

2026年2月24日

歴史をたどり理解する
議員定数と政治の変遷

 第一帝国議会が開設された1890(明治23)年、衆議院議員の定数は300であった。以降、1900年に第二次山県有朋内閣が大選挙区制を導入した際に369となり、25(大正14)年の護憲三派内閣(第一次加藤高明内閣)による男子普通選挙法では466となった。選挙制度に大きな変更があるたびに、有権者の数とともに議員の総数も増やされてきた。

 それでは、最初の議員定数「300」は、どのように決定したのか。

 詳細は分かっていないが、政治学者の上條末夫(「議員定数の論理」)によると、およそ人口12万人につき1人の議員とする計算があったことは知られている。

 明治期の日本は諸外国の事例や実情、ドイツの法学者ロエスレルら外国人の意見を参考にしながら、定数の基準を定めた。そして人口が増えるに従い議員の数も増やすのが当然とされ、制度変更のたびに漸増した。

 戦時下(翼賛議会)においても定数は減らず、公職選挙法が制定された戦後も、人口増加や都市農村人口のバランスなどに配慮して、議員定数は512まで増やされた。

 それまでと全く異なる論理が登場するのは、平成の政治改革である。

 89年に自民党が「政治改革大綱」を作成し、政治家の倫理の欠如、政治資金の不透明さ、不合理な議員定数・選挙制度などの課題を指摘して、議員定数を471に削減するとの目標を掲げた。

 実際に定数が削減されたのは、94年の政治改革関連法によるもので、衆議院の選挙区制度が中選挙区から小選挙区比例代表並立制に変えられるとともに、500(小選挙区300、比例代表200)の定数が決定された。

 その後も定数の減少傾向は続き、2000年には比例20議席、17年には15(小選挙区11・比例4)議席が削減され、現在の定数は465である。とくに最新の改定では、最低でも県に1人の議員を確保することで配慮しながらも、人口と一票の格差是正を重視し、定数を計算式に委ねるアダムズ方式が導入されている。

 人口減少下で自動的に議員削減を進めるメカニズムが選挙制度にインプットされたことで、日本における議員減少の傾向は確定的になったといえよう。その結果、かつて人口12万人に1人の割合であった衆院議員は、1994年に約42万人に1人(総人口/小選挙区)の割合となり、さらなる削減が見込まれている。

 私たちはなぜ、国民(有権者)の代表である国会議員の数を減らそうとするのか。


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