大統領は議場に入場し、関係者に挨拶しながら演壇に向かって進み、最高裁判事の一群の前を通りかかった。何が起こるかとみな固唾を飲んで見守ったが、大統領は関税に対する違憲判決に賛成したロバーツ長官とも握手したのである。いつもなら、にらみつけたりプイと横を向いて無視してもおかしくない局面であったにも関わらず、である。
演説においても、関税に対する違憲判決について、「不運なこと」とか「残念」といった穏やかな表現にとどめた。メディアの多くは「らしくない」態度と見なした。
これには最高裁がトランプすら侮ることができない大きな権限を持っていることが背景にある。どれほど力のある大統領がいかに人気のある政策を実施しようとしても、最高裁が違憲と判断すればそれは無効となってしまうのだ。
1930年代から40年代にかけて前代未聞の4回に渡って大統領選挙に当選し10年以上にわたって大統領職にあったフランクリン・ルーズベルトと最高裁の対立が想起される。自分のニューディール政策関連法が次々と最高裁に違憲とされるのをみて、最高裁改革を実施し自分の政策に賛成する判事を任命できるようにしようとした。
1936年の大統領選挙において選挙人数で523対8の大差で勝利したルーズベルトは、国民が自分を支持してくれると信じたのであった。ところが、世論はいかに人気のあるルーズベルトといえども三権分立を犯すようなやり方には反対の意を示して彼の計画がとん挫したことがあった。今後様々な政策に対する判断を最高裁は控えており、敵にまわすには得策ではないとトランプは考えたのだろう。
国全体ではなく共和党支持者の引き締めに
総じて今回の一般教書演説は、大統領が国全体に語り掛けているというよりは、どこかトランプ集会のようであった。通常は、大統領は国民の融和と団結を訴えるものである。オバマも「党利の前に国益を」と共和党に協力を呼び掛けているし、ブッシュ(子)も「私たちが議会のどちらの側に座っているかは、国民にとってあまり重要ではない。何かをする意思がある限り、(両党を隔てる)通路を渡ることが重要なのだ」と演説している。
トランプも融和を呼び掛けたことがないわけではない。2024年の選挙戦において共和党の指名受諾演説において「私は米国全体のための大統領に立候補している。米国の半分のための大統領ではない」と述べている。
この発言には浮動票や民主共和両党の穏健派の票を呼び込む目的であったと考えられるが、もはや彼は大統領候補でなく二期目の大統領である。今回の一般教書演説が、トランプ集会に見える所以であり、中間選挙に向けて共和党支持者の引き締めにかかっているだろう。
見解が異なる判事たちに大統領が礼儀正しく握手し、言葉汚く罵らなかったことに我々は驚きを感じた一方で、数日前に冬季オリンピックで金メダルを獲得したばかりのメダリストがメダルを下げて現れたり、テロリストに銃撃されて一時は命が危ぶまれた州兵が初めて公の場に姿を現すなど、サプライズも用意されて驚きに満ちた一般教書演説だったにもかかわらず、それには大した驚きを感じなかった。我々は異例なことに触れ過ぎ、慣れてしまっているのかもしれない。
