2026年3月16日(月)

Wedge REPORT

2026年3月16日

「人が足りない」のではなく、「賃金が足りない」

 ここで強調したいのは、観光産業の人手不足は「人がいない」のではなく、「その条件では人が来ない」という問題だという点である。これは米国の事例を見るとよく分かる。

 ホスピタリティ産業のトップ校であるセントラル・フロリダ大学の原忠之氏によれば、米国でもかつて宿泊・飲食は低賃金・重労働の代名詞だった。しかし、パンデミック後の急激な需要回復局面で労働力不足が顕在化した際、企業は賃金を大幅に引き上げた。短期間で時給が5~6割、年収ベースでも3割以上上昇し、他産業からの労働移動が起き、「人がいないのではなく、賃金が低かっただけだ」と産業自身が気づくことになった。

日本の賃金が上がらない理由

 宿泊・飲食は「賃金倍増」が可能な産業である。「倍増」とは、一度の賃上げで実現するという意味ではない。固定費産業としての利益レバレッジを、人材投資に継続的に振り向けることで、中期的に倍水準へ引き上げることが可能だ、という意味である。

 とはいえ、多くの経営者が抱く疑問・懸念は、「賃金を上げるのは現実的ではない。どうすればよいのか」というものだろう。

 ではなぜ、日本の観光産業では賃金が上がらないのか。そこには短期的な景気や一時的な需要では説明できない、構造的な三つの要因が存在する。

 第一に、日本の宿泊業は長年、稼働率中心の経営をしてきたという問題がある。多くの経営指標が客室稼働率や宿泊者数といった数量に偏り、価格よりも集客が重視されてきた。しかし宿泊業の収益性を決める本来の指標は、客室販売可能一室あたり売上を示すRevPARである。

 RevPARは客室単価と稼働率の積で決まる。欧米のホテルでは需要が強い局面では価格を引き上げ、稼働率が多少下がっても収益を最大化する戦略が一般的である。一方、日本では満室に近づけることが重視され、稼働率を上げるために価格を下げる傾向が強かった。その結果、売上は増えても利益率は上がらないという構造が続いてきた。

 単価が低ければ、人件費の原資も生まれない。低価格モデルが低賃金モデルを生み出しているのである。

 第二に、日本の観光産業では人件費が長く削減対象のコストとして扱われてきた。多くの企業では人件費率や労働分配率が「下げるべき指標」として管理されてきた。しかしホスピタリティ産業において、人材は単なるコストではない。顧客体験、サービス品質、ブランド評価はすべて人材によって生み出される。

 その結果、基本給は上がらず、賞与で調整する構造が続き、非正規化が進んだ。この構造では離職率が高くなり、教育投資が回収できない。人材が蓄積されない産業になってしまうのである。


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