2026年3月16日(月)

Wedge REPORT

2026年3月16日

 まず、コロナ禍のような需要ゼロに近い事態は、歴史的にも極めて例外的なショックである。100年に一度と言われる事象を前提に、平時の賃金設計を縛り続けることは、成長機会を自ら放棄することに等しい。実際、コロナを経験した後に賃上げが進んでいる産業は少なくない。

 さらに重要なのは、賃金を上げないこと自体が、現在進行形のリスクになっているという点である。観光産業が直面している最大の脅威は「需要はあるのに、人が足りずに稼働できない」という状況だ。

 低賃金のままでは人材が集まらず、離職率も高止まりする。その結果、教育投資は回収できず、サービス品質は上がらない。これは、回復局面で競争力を失うという意味で、極めて深刻な経営リスクである。

 非常事態を理由に「賃金を上げられない」と言う議論は、突き詰めれば、「ショックに耐えられる賃金設計や経営設計ができていない」ことの裏返しにすぎない。問題は賃金水準そのものではなく、賃金をどう設計し、どう支えるかにある。

 本来、危機への備えは、平時に付加価値と収益力を高めておくことで行うべきだ。稼働率頼みの薄利構造を改め、単価を引き上げ、需要のピークに依存しない平準化された収益構造を作る。DXによって人時生産性(labor productivity per hour)を高め、少ない人数でも高い付加価値を生める体質に変える。こうして平時の粗利率を高めておけば、危機時には一時的な雇用調整や労働時間短縮、公的支援の活用といった「ルール変更」で対応できる。

 実際、米国の宿泊・飲食業界は、コロナ後に大幅な賃上げを実行したが、それは「次の危機が怖くなくなったから」ではない。危機を経験したからこそ、平時に稼げる体質へと経営を転換したのである。価格転嫁、生産性向上、業務の柔軟化を進めることで、高賃金と危機耐性を両立させている。

 賃金を上げられない経営構造のままだから、危機に弱いのである。観光産業が成長産業であり続けるためには、「賃金は固定費だから危険」という発想を捨て、賃金を人材確保と競争力の源泉として再定義する必要がある。

賃金を上げないことは、成長を放棄すること

 観光は成長する。だが、人は足りない。だからこそ、賃金を上げた企業だけが成長できる時代が来ている。

 賃金引き上げは社会的責任論ではなく、成長戦略そのものだ。賃金を上げないことは、目の前にある成長機会を自ら捨てることに等しい。

 日本の観光は長く「安くて良い国」というブランドを作ってきたように感じられる。これは訪日客数の増加には成功したが、結果として単価を取りにくい市場構造も生み出した。

 日本の観光産業が、次の20年も成長産業であり続けるかどうか。その分水嶺は、「賃金を倍にする覚悟」を持てるかどうかにある。日本の観光産業の問題は、観光客が少ないことではない。その需要を高い付加価値に転換できていないことである。経営者の決断が、産業の未来を決める時期に来ている。

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