2026年3月18日(水)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年3月18日

「中間組織」が信頼をつくる

 ここで見落とされがちなのは、信頼がどこから生まれるのかという問題である。信頼は市場の自動作用で「自然に湧く」ものでも、国家が命令で「上から配給」できるものでもない。

 ジェノヴェージのeconomia civileを社会構想として読むなら、信頼は、個人と国家の間に存在する多様な結社や共同体、制度の中で培われる。現代的に言えば、家族、学校、地域団体、職能団体、協同組合、企業内の現場コミュニティなどの「中間組織」が、信頼形成の場となる。

 ジェノヴェージは人間を「animal civile(社会的存在)」として捉え、競争市場であっても協力的秩序が成立しうるという視点を明確化したとされる。これは、個人が孤立して市場に投げ込まれるのではなく、何らかの関係の網の目に組み込まれて行為するという前提を含む。したがって、信頼や互酬が薄れるとき、問題は「個人のモラル低下」ではなく、信頼を学び実践する場としての中間組織が弱体化している可能性を疑うべきである。

「徳」は社会を回す実践力

 ジェノヴェージは、経済を支える中核として「徳(virtù)」を位置づけた。ただし、彼の言う徳は、人格的に立派であることや道徳的に善い人間であることを意味しない。アントニオ・ジェノヴェージの言う「徳」とは、いい人であることではなく、人と協力しながら社会や仕事をうまく回していく力のことである。彼の市民的経済において「徳」が統治と経済秩序の組立てに関わる概念である点は、研究でも強調されている。

 ここで重視されているのは、内面の清さではなく、関係を壊さずに行為を調整する実践的能力である。約束を守ること、短期的な利益よりも信用を優先すること、対立が生じたときに関係の継続可能性を考慮して判断すること。これらは道徳的美談ではなく、社会が機能し続けるための条件である。

 徳が厚ければ監視や管理にかかるコストは下がり、分業や投資が進む。徳が痩せれば疑心暗鬼が広がり、制度は硬直し、経済は短期合理性に閉じ込められる。

 そして徳は、抽象的な教訓としてではなく、中間組織の中で反復され、習慣として形成される。信用取引の慣行、職能共同体の評判、現場での相互扶助、学校や地域での協働経験は、いずれも徳の具体的な訓練装置である。徳を重視するeconomia civileは、経済政策や企業統治だけでなく、社会の中間層にある制度の設計を含む思想である。

 日本経済が長く直面してきた停滞は、この徳の軽視と無関係ではない。効率性を優先するあまり、人材育成や技能の継承、現場で培われる信頼関係が見えにくいものとして後景に退いた。

 その結果、短期的には合理的に見える判断が積み重なり、長期的な競争力と社会的持続性が損なわれた。ジェノヴェージの徳概念は、この構造を読み替える視座を与える。


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