ふだん景色の一部である木が、作品の一部となり、人々とつながる。この風景芸術を体験した人は何を感じ取ったのだろか。木と人、命と命。何気ない日常と、非日常。戦争のない日常と、戦争のある日常。いとも簡単に逆転しうる日常と非日常──。
「あぁ、10年前に知っていたら」と羨む私には想像することしかできないが、確実なのは、このイチョウが、戦火を生き延び、今も命ある存在として立ち続けているということだ。
物言わぬ樹木だからこそ
「私は《感覚細胞-2016・イチョウ》が完成した時、作品を展覧会の後もずっとこの場所に残してほしかったのですが、残念ながらそれは叶わず、撤去しました。大好きな作品ですし、できることならば、今度は美術館でなくても、上野の山にある戦災樹木を対象にした風景芸術を制作する機会を与えてくれることを願っております」と田窪さん。
広島では2025年にも被爆樹木を題材としたアート展が開催された。東京をはじめ全国各地の空襲を受けた都市でも、日常に埋もれがちな戦災樹木、そして戦争の記憶にフォーカスする機会が、もっとあっても良いのではないか。
戦災樹木は 〝物言わぬ生き証人〟ゆえ、注目されにくかったり、伐採されてしまったり。損傷した樹木を守っていくのは容易ではない。だからこそ、アートや、シンボルとしてもっと活用することで、保全に対する機運を高められるはずだ。
少しだけ自分の話をするのを許してほしい。私は10代の頃、広島や沖縄で平和学習の機会を得た。関連施設の見学や、体験者のお話がなければ、今こうして原稿を認めていないと思う。だけれども、惨劇に触れるのはつらく、足が遠のいていた。再び向き合うきっかけをくれたのは、戦災樹木だ。血も涙も流さないが、その姿は「ここに爆弾が落とされた」という実感を与えると同時に「それでも生きてきた」という希望も感じさせる。
「東京都美術館の焼けイチョウは、被災したとは思えない生命力ですこぶる元気です。晩秋には大量の落ち葉が降り注ぎ、その様子もまた見事な光景です。幹には大きな輪がかけられ、現在も定期的に剪定されるなど、これまでに多くの方によって大切に守られてきました。ある意味、人を動かし続けてきた存在とも言える、その強さとしぶとさには感服しますし、イチョウという樹木の不思議さを感じずにいられません。田窪さんの作品を通して、その存在感があらためて『再生』し、多くの方に意識される機会が生まれたことにも意味があると感じています。こうした関心が次の世代にも引き継がれながら、焼けイチョウがこれからも大切に守られ、いつまでも元気であり続けてほしいと願っています」(田村さん)
お花見で賑わう上野公園の一角で、焼けイチョウは今春も若葉を芽吹かせている。
