2026年3月30日(月)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2026年3月30日

入社後に必要なのは、偏差値ではなく、社会的能力

 大学入学までは偏差値がものを言う。授業を受け、予習・復習を行い、定期試験でいい成績をとれば、偏差値は上がる。入学試験で試されるのは、記憶力、抽象的思考、論理処理速度、集中力の長時間持続などである。

 大学に入れば、これに課題提出やゼミが加わるが、それでも、個人内の能力を高めていけばいい。総じて、学校で問われるのは、「問題を出され、時間内に解く」能力である。

 しかし、入社後はそうではない。ビジネスの世界で問われるのは、利害調整能力、対人影響力、感情調整、不確実状況での意思決定、リーダーシップなどである。総じて、感情的知能(emotional intelligence)ないし社会的能力(social skill)と言われるものである。

 偏差値世界での成功体験は、入社後に足を引っ張ることもある。受験界の勇者たちは、A4用紙に記された問題を目の前に出されたら、それを素早く解く習慣がついている。その準備として、問題集で反復練習を繰り返し、試験の日にその成果を発揮し、返ってきた成績を見て勝利を確信する。この、努力、試験、成績、達成というサイクルを回し続けるのが、学校型秀才の行動パターンである。

 しかし、ビジネスの世界では、会社で毎朝、A4の問題をわたされるわけではない。会社はペーパー試験を解く場ではない。

 問題が出されてから動く習性を身に着けた立場からすれば、日々の仕事はそれを行う意味がわからない。個々の事務処理が組織全体で果たす役割を理解できない上、一つひとつに採点基準があるようには思えないので、会議資料にせよ、メールにせよ、過去の成功体験を生かしにくい。

 会社の中では、俗に「報連相」(報告・連絡・相談)とよばれる上司・同僚とのコミュニケーションが不可欠だが、これは学校時代の「採点基準」にはなかったものである。秀才たちは試験の高得点に価値を置くから、その目的に合わせて教室での行動を最適化する。同級生との摩擦や、教師との葛藤は、勉強の集中力を削ぐから、排除しようとする。勉強時間の確保のために、集団行動に労力を費やされるようなことはしない。

 この行動パターンは、会社の中では「困難な仕事を避ける」としてマイナス評価される。重要な業務の多くは、失敗リスク、評価リスク、人間関係リスクを伴い、それらを最小化しつつ、目的を達成するのが、組織の勇者である。しかし、学校型の秀才はそのような課題に直面しても、知的合理性が働いて「引き受けると損」と判断する。

「一流である」とは「自ら責任を引き受ける」こと

 歴史的に見ると、エリート教育は知的能力を伸ばすだけではなかった。英国のパブリックスクールやオックスフォード・ケンブリッジ大学、フランスのグランゼコール、アメリカのアイビーリーグなどで行われていた教育には、「最も困難な仕事は、最も教育を受けた者が引き受ける」という理念があった。

 そこでは、公共への奉仕、指導力、社会的責任が強調される。ゼミでは、社会問題や公共政策が議論される。

 議論の目的は、「論破」することではない。むしろ、多様な意見の渦中に飛び込むことで、エリートとしての責任を体得することであった。「一流である」とは、特権をひけらかすことではなく、責任を引き受けることであった。


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