2026年5月16日(土)

スポーツ名著から読む現代史

2026年5月16日

 栗山は前掲書の中で、三原野球から学んだこととして、「常識、非常識という考え方は思考を停止させる」と書いている。ダルビッシュが抜けた投手陣を「チャンスの宝庫」として発想を変えたことでオセロゲームの大逆転のようにプラスへ転換した。

 ちなみに、日本ハムで背番号「80」をつけたのも三原の影響だという。三原は西鉄時代に「50」、大洋では「60」、近鉄で「70」、最後のヤクルトで「80」の背番号をつけた。率いたどのチームでも強化に成功したが、ヤクルトでの3年間だけは1度もAクラスに入ることができなかった。三原が監督としてやり残したことがあるなら、自分がそれを引き継ごうと思い、「80」を選んだ。

 栗山が東京学芸大を卒業し、ドラフト外でヤクルトに入団した84年2月、三原は72歳で亡くなっているので、栗山が直接三原の教えを受けることはなかった。読書家の栗山は三原の著書『風雲の軌跡』(ベースボール・マガジン社)などをそれこそ何度も何度も読み返したという。
著書を通した三原と栗山の接点に加え、2人をさらなる「師弟関係」に結びつけたのが三原の娘婿である中西が保管していた「三原ノート」だった。

中西に託した「三原魔術」のすべて

 NHKのスポーツ担当ディレクターの三木と金沢が23年WBCの監督に就任した栗山の取材を始めたのは、栗山がWBCの日本代表監督に就任して半年余が過ぎた22年の夏だった。栗山が評論家時代、多くの野球指導者を訪ねて精力的に取材をしていたことを知り、そうした知見がWBCでのチーム指揮にどう生かされるのかを探る番組作りが狙いだった。

 取材チームは最初から三原に狙いを定めていたわけではなかった。栗山が評論家時代、南海(現ソフトバンク)の名監督、鶴岡一人から話を聞いていたことをNHKの先輩から聞き、栗山から直接確認したところ、鶴岡だけでなく三原が残したノートがあることが分かった。栗山は三原の娘婿で、西鉄(現西武)の黄金時代を築いた中心打者、中西太から三原のノートを見せてもらい、それをコピーして保管していた。

 三原ノートは「序」から始まり、「精神訓練」「投手(守備)」「捕手(守備)」「打撃(攻撃)」「内外野の守備」「中継及びカバーリング」の6編からなる。
「序」からみてみよう。

 「序 野球のすべてを一定の型に嵌めることはできない。即ちあらゆる状況に当てはまる型というものはない。基本形はあるが、これがすべてではない。基本形を状況に応じて変化させて使いこなしていくこれが野球の勝負である」

 いかにも「知将・三原」らしさが出ているのが「精神訓練」である。野球に向き合うための心得が52項目にわたって箇条書きされている。一部を抜粋してみる。

1 ベンチ内に於いて、敵、味方を問わず起こったプレーの戦法、セオリーの批判を禁ず。

5 勝負の責任は監督にある。したがって選手は勝敗にとらわれず、何者にも負けない闘志をもって常に最善の努力をする。

20 獅子は兎を追うときにもその全力を挙げて、これを倒すという。平凡を馬鹿にすると油断から大事を生む。楽なプレーでも全神経を使ったプレーをせよ。調子に乗って軽率なプレーをすることは、特に新人の戒めとせねばならない。

29 勝負は実力5、運3、調子2の割合である。勝負には不思議に得手と苦手がある。自分では何とも思わなくとも相手がそう思い込むところに利点があり、また不利点もある。これを克服するのは精神力であり、それをどの程度に克服するかによってチームなり個人の強さが価値づけられる。

42 記録上の勝利投手は何の意味も持たない。勝利はチームの勝利であって投手個人の勝利ではない。投手が8点取られてもチームが9点を取れば勝ち投手となり、1点で抑えても味方が無得点なら負け投手となって、まったく不合理である。

44 勝負はすべて紙一重の差で決する。〝心の差〟〝技の差〟〝体力の差〟

52 野球は分かってくると迷う。迷いを破った時に進歩が生まれる。そしてまた一段上の迷いが生じ、これを克服してさらに進歩が生まれる。これを繰り返すのが野球である。

全てを紹介できないのは残念だが、随所に三原らしさが表れている。29の「勝負は実力5、運3、調子2の割合である」と断じたあたりは「勝負師三原」を理解するうえで興味深い。


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