イラン国家プロジェクトの契約者は日本企業だが下請けは実質“米国企業”
赴任して最初の仕事が米軍により破壊されたペルシア湾内の海上油田の原油生産リグ(石油プラットフォーム)の改修工事であった。海洋構造物に強みのある日本の大手メーカーと組んだ。しかし、実際の作業は米国企業の海外法人がドバイに保有する作業ヤードで石油プラットフォームを組み立てていた。そして、プロジェクト期間中ドバイに常駐して監督していたプロジェクト・マネージャーは、イラン系米国人(イランと米国の2重国籍でパスポートも2冊持っていた)であった。彼は工事の進捗状況を直接報告するため、テヘランの石油公社にも定期的に来ていた。
イラン航空のジャンボジェットのスペア・パーツはどこから
当時イラン航空の主力機材はボーイング社のB747であった。このスペア・パーツは米国から出荷され、ボーイング社の海外法人経由でイランに入っていたと聞いた。定期的に交換が必須なスペア・パーツが米国から輸出されてイランに入っていたのだ。
1990年代半ばであるが、イランの陸上油田の生産向上のため米国メーカーの特殊なタービンが必要となった。米国製品をどのように輸入するか米国メーカーに打診した。数週間経てから「タービン本体を米国の港から出荷して、オランダのロッテルダム港で陸揚げし、イラン向けに積み替える。ロッテルダム港の作業場でタービン本体に付属品を組み込むので、タービン完成品の原産地はオランダになるので問題ない」というような米国メーカー本社の説明を受け取った。ちなみに納入者は米国メーカーの欧州法人であった。
石油化学プラントの心臓部の“プロセス”は米国企業が保有
イランの石油化学プラント建設プロジェクトの国際公開入札があった。日本のメーカーと組んで応札した。石油化学プラント建設では、反応塔など精緻な設備仕様が求められるが、同時に重要なのはソフトであるプロセスである。日本のメーカーは世界各地で安定した操業実績を誇る米国企業が保有するプロセスを選択した。
国際入札のイラン側の技術審査でも、やはり当該米国企業のプロセスが高く評価された。イランの地方の建設現場で監督したのは、当該米国企業の欧州法人から派遣された英国人技術者だった。
以上の体験から学んだのは、イランと米国はお互いに表向き(=建前)は取引を禁止して政治的に敵対しているが、裏では実利を優先して実質的な取引を相互に容認していたことである。
