中国国営石油の中東進出“事始め”
1990年代半ばにイランが南西部の湿地帯で大規模な油田探査を計画していた。油田探査技術は米国が最先端技術を誇っている分野だ。中でもA社は石油技術総合企業として、世界中で活動していた。ちなみに当時のA社のCEOは後に米国副大統領となった大物だった。
当時筆者は中国に頻繁に出張して、中国の石油産業を調査していた。毛沢東のスローガン「工業は大慶に学べ、農業は大寨に学べ」で知られるように、中国はソ連と袂を分かってから“自力更生”により大慶油田を開発してきた独自技術がある。他方で90年代には増大するエネルギー需要に対応するべく、海外でのエネルギー資源確保にも本格的に乗り出した。中国石油公社傘下の地質探査企業C社は、米国A社から最新技術を導入していた。中国製作業車両のカタログを見るとA社の純正車両の完全コピーだった。C社のみならず、例えば中国の石油掘削企業もA社から特殊掘削技術を導入していた。
イラン石油公社にC社幹部と油田探査プロジェクトの技術説明会を開いた。2日間の質疑応答でイラン側はC社の技術力を理解した。専門技術者と技能員の日当が欧米の数分の1というコスト競争力が決め手だったが、米国A社の完全コピー技術を格安で提供するのであるからイラン石油公社も飛びついたのだ。
C社の代表は当時40代半ばの米国で、博士号を取得した石油探査の専門家だった。温厚篤実な博士は「中国石油は今まで中国国内、南米の一部でしか探査実績がない。今後はイラン始め中東、そして全世界に活動を広げたい。是が非でもイランのプロジェクトを成功させて先鞭をつけたい」と熱い抱負を語っていた。それから30年、今や中国石油は国際石油メジャーの一角を占める巨大企業となり世界各地に利権を擁している。
中国製油井鋼管(casing pipe)の海外輸出第1号
1990年代後半になると、イランの陸上油田関連のプロジェクトが増えてきた。イラン石油公社が5万トンという大規模な油井鋼管の国際入札を発表した。油井鋼管は要求仕様が厳しく、日本の大手製鉄会社の独壇場だった。ところが、日本の大手は客先別用途別に商社を指定しており、本件では筆者の勤務先は指定外であった。
他方中国の製鉄会社が日本の大手製鉄会社から油井鋼管製造技術を導入して、中国国内向けに製造しているという情報を得ていた。物は試しと中国から見積を取り、2000トン分だけ応札すると予想どおり価格的には断トツの一番札であった。国際価格の半分程度だった。イラン石油公社の幹部から呼ばれて10倍の2万トンを契約するように要請されたが、中国側の生産設備の制約から納期を守れないリスクがあるので増量は断念した。
それから1年も経たぬうちにイラン石油公社購買部門は、北京に購買事務所を開いて中国とイランは直接取引を開始した。
カーグ島の石油出荷施設建設プロジェクトと“イランの戦後復興”
最近商社時代の後輩がイランの石油輸出基地カーグ島の石油出荷施設の建設プロジェクトで、日本の大手建設会社と一緒にカーグ島に常駐していたことを知った。さらに先月都内某所で当時の建設会社の人達とカーグ島同窓会が開かれたという。確かに当時はテヘランに日本の商社・メーカーなどが活発に活動していた。日本人会によるソフトボール大会やテニス大会が毎年開かれていたことを思い出す。
米国・イスラエルと停戦すれば、イランは戦後復興プロジェクトに取り組むことになる。そのとき果たして日本企業にビジネスチャンスはあるのだろうか。中国企業が大きな案件を独占するのではないかと危惧する。そして停戦後も、米国制裁が続いたとしても米国企業は巧みに実利を得るべく立ち回るのではないだろうか。日本企業の健闘を期待したい。引き続きイラン情勢から目を離せない。
