さらに山本の主張で興味深いことは、川の流れや鉄鉱石の存在、地下に埋蔵されている石油自体、一つの自然現象にすぎず、善でもなければ悪でもなく、これを「資源」として利用する技術が重要であると指摘している点だ。原子力も同様であり、平和利用の名のもとに「資源」とすることで、人間はそれに密着して生存でき、社会体制も出来上がることを説いている。
「危ないからやめる」は思考停止?
吉本と山本には通底している主張がある。それは、原子力や原発をめぐる議論が「危険なものだからやめる」という方向に陥ることに警鐘を鳴らしていることだ。もちろん、東京電力福島第一原発事故は、日本人のみならず、世界中の人々に大きな衝撃を与えた。そこから「原発を廃止する」という選択肢が主張されること自体、決して否定されるべきものではない。
ただし、吉本はこうも言うのだ。
「敗戦時、私の周りにも『もう日本は終わりだ』と自決する人間がおりました。(中略)しかし、それは一番楽な方法なんです。(中略)事故が起きて、ここから目覚める、科学進歩がどういうものなのかもう一度考えていく。そうする以外に、この問題を乗り越えていく方法はないと思います」
大衆社会である日本では時折、空気の〝硬直化〟が起きる。「日本国民は賢明である」と信じていても、道を誤ることは戦前の歴史や、コロナ禍における同調圧力の強さが証明している。
世論による「空気の支配」にはいつの時代も注意が必要なのだ。
水車、風車、木炭、石炭、石油、太陽光、原子力─。時代を経ながら様々なエネルギーが生まれて「併存」し、人類はそれらと「共存」してきた。
この長い時間軸に立てば、現在の原子力も永遠とはいえず、一つの通過点にすぎないかもしれない。そう考えた時、「資源」として利用する多様な技術を開発・蓄積していくことは、人類にとって、未知なるエネルギーを切り拓く突破口にもなるはずだ。
原子力には正と負の側面がある。だからこそ、正の部分ばかりでなく、負の側面も直視し、技術の課題は「人類の英知を集めた技術」によって乗り越え、人々の信頼を勝ち得ていくことが重要だ。その不動の決意とたゆまぬ努力こそが、吉本と山本が警鐘を鳴らした「思考停止」や「空気の支配」に抗う選択肢のひとつになるだろう。
