2026年7月29日(水)

Wedge OPINION

2026年7月29日

 スターマー首相が、何もせずに手をこまねいていたわけではない。むしろ労働党政権は、国民投票でEU離脱を支持した労働者層の支持を取り戻し、英国社会の分断を緩和しようと、様々な手を打った。借家人や労働者の権利の拡張、最低賃金の引き上げなどを通じて、普通の人々の生活状況の改善を図る一方、高級不動産や私立学校の授業料への新規課税により、格差の縮小にも取り組んだ。就労ビザを抑制したことで、25年の新規移民は17万人余りと、12年以降で最低の数字となった。

 他方で、EU再加盟や単一市場への参加は分断を再燃させかねないとして封印した。確かに、性犯罪で起訴され拘留中に死亡した米富豪エプスタインと関係の近いマンデルソンを駐米大使に任命するなど、判断ミスがなかったわけではない。また、カリスマ性に乏しく、有権者がキャラクターで政治家を選ぶ時代に向いているとは、お世辞にも言えない。

 しかし短命政権に終わった最大の原因は、EUとの関係を安定させつつ離脱派労働者の支持を取り戻そうとする姿勢が、離脱派・残留派のどちらからも中途半端とみられたからだ。スターマー首相は、世論調査の結果に振り回され、自らの政治的ビジョンを訴える姿勢が欠けていた。

今もなお、英国に残る
サッチャー政権の遺産

 社会の基本的な枠組みが揺らぐ時、状況を理解する助けになるのは歴史である。とりわけ、英国社会が抱える分断の実態を正確に把握するためには、1979年から90年まで首相を務めた女性政治家・サッチャーの業績を振り返るのが不可欠だ。なぜなら、サッチャーこそは現在の英国政治の基本的枠組みや、グローバル化を特徴とする冷戦後の国際秩序の形成に際して、大きな影響力を持った人物であるからだ。

 サッチャーは階級社会の英国において、比較的貧しい家庭の出身でありながら、初の女性首相となった。新自由主義的な荒療治により、インフレや労使紛争で危機に陥っていた英国経済を立て直すことに一定程度成功した。外交面では、米国のレーガン大統領・ソ連のゴルバチョフ書記長の双方と親密な絆を築くことに成功するなど、冷戦終結に深く関与した政治家でもあった。

 サッチャー政権が国際的な資本移動の自由化と金融の規制緩和(ビッグバン)に踏み切ったことは、グローバル経済の誕生に一役買った。国営企業や公営住宅の民営化・規制緩和は、日本を含め多くの国々に波及した。反面、製造業の立て直しには失敗したため、サッチャー以降の英国経済は、サービス業(とくに金融業)と不動産ブームに依存することになる。こうしたいびつな経済構造は、国際的な金融街シティーを中心に繁栄するロンドンやイングランド南東部とそれ以外の地域との間や、不動産を持つ者と持たざる者の間に、大きな格差を生んだ。

 サッチャーはドイツ統一やヨーロッパ通貨統合に強硬に反対した政治家でもある。88年9月にベルギー・ブリュージュ市で行ったブリュージュ演説は、保守党がEUに懐疑的な方向に変化していくきっかけになった。結果として、英国はユーロへの参加を見送ることになる。これは、英国内の親EU派と反EU派、英国と他のEU諸国との間での、妥協の産物であった。

 こうした問題点は、経済成長が持続している間はかろうじて覆い隠されていた。しかし、2008年リーマンショック以降のグローバル金融危機により英国経済が大きな打撃を受けると、様々な形で政治への不満が噴出する。それまで、格差の存在は「自己責任論」によって正当化されてきたが、経営危機に瀕した金融機関の救済のために多額の税金が投入されたことで、その説得力は失われた。同時に、EUがユーロ危機に対処するために金融規制や経済運営の一体化に乗り出したことは、ユーロ圏の一員でない英国の発言力を低下させ、従来のような「いいとこ取り」の姿勢を続けることを困難にした。これが東欧諸国からの移民流入への不満とならんで、英国内でEU離脱論が強まった原因である。

 サッチャー流の自己責任の政治に倦んだ人々が引き寄せられたのは、移民やEUといった外部の「敵」や、それと結託しているとされた「エリート」に矛先を向ける、ポピュリズムの政治であった。


新着記事

»もっと見る