市場は政治の外側にある騒音ではない
市場を軽く見る議論では、しばしば市場は「投機家の反応」や「金融資本の圧力」として描かれる。
もちろん、市場には短期的な投機もある。過剰な楽観もあれば、過剰な悲観もある。金融市場の価格が、常に国家の実力を正確に映しているわけではない。市場は万能ではない。市場が常に正しいという考えは、民主政治にとって危険である。
しかし、市場が完全ではないからといって、市場を無視してよいわけではない。なぜなら、市場は単なる意見ではなく、金利、為替、物価、資金調達環境を通じて、国民生活に直接跳ね返るからである。
国債金利が上がれば、政府の利払い費は増える。利払い費が増えれば、社会保障、教育、科学技術、防衛、地方財政などに使える予算の余地は狭くなる。円が不安定になれば、輸入物価が上昇し、家計や企業の負担は増す。通貨への信認が揺らげば、物価安定は難しくなる。中央銀行への信頼が低下すれば、金融政策の効果も弱まる。
つまり、市場は政治の外側にある騒音ではない。政策の実行可能性を左右する環境そのものである。
政府は選挙に勝つことで政策を実行する権限を得る。しかし、選挙に勝ったからといって、金利や為替や物価を自由に決められるわけではない。
民主的な正統性は、政策を決める権限を政府に与える。だが、その政策が持続可能かどうかは、財政、通貨、中央銀行、市場との関係の中で試される。この点を見落とすと、民主政治は危うくなる。
市場に従属しないという原則は重要である。しかし、市場を無視する政治は、結局、国民生活を守る力を失っていく。
市場は民主政治に時間軸を突きつける
民主政治には、避けがたい弱点がある。それは、現在の有権者の意思を強く反映する一方で、将来世代の声を十分に反映しにくいことである。
選挙で投票するのは、現在を生きる有権者である。だが、財政政策の結果は将来に及ぶ。国債は将来の税収や成長力に関わる。社会保障制度は、将来世代の負担に関わる。成長投資は、数年後、十数年後、あるいは数十年後の国家能力に関わる。
現在の多数派が支持した政策であっても、その負担を将来世代が引き受けることがある。ここに、民主政治の時間的なずれがある。
市場は、この時間のずれを映し出す装置でもある。市場は、政府の現在の人気だけを見ているわけではない。市場が見ているのは、将来の支払い能力であり、政策の一貫性であり、制度の安定性であり、中央銀行との関係であり、将来の成長力である。
もちろん、市場の時間軸も完全ではない。市場は短期的なニュースに反応しすぎることがある。目先の政治イベントや金融政策の一言に過敏に反応することもある。だから、市場を将来世代の完全な代理人のように扱うべきではない。
それでも、市場が将来のリスクを価格に織り込む存在であることは否定できない。国債金利や為替は、国家の将来に対する市場の評価を、粗い形ではあるが示している。その意味で、市場は民主政治に時間軸を突きつける存在である。
