2026年10月13日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2026年10月13日

 コピーと思われる正文の便箋最上部中央に印刷されているのは「GEORGE BUSH」の文字であり、中国語訳と一緒にガラスケースに収められている。英文の方の末尾にはブッシュのサインがあり、日付は「September 28,2004」。9月28日、つまり中国人が「九・一八」と呼び抗日・反日の記念日とする満州事変勃発の9月18日から10日後というのが微妙なところではある。

 一般の中国人が読む中国語の訳文を忠実に訳してみると、次のようになる。

 「保山市市長熊清華先生/親愛なる市長先生/60年前、米国からやってきた者と中国の若い兵士とは怒江戦役において肩を並べ作戦を展開し、日本天皇の軍隊を追い払った。/アメリカ人飛行士は地上で包囲され困窮する部隊に物資を空中投下する際に犠牲になった。/世界大戦における最高の戦場において、アメリカと中国の歩兵は山上の拠点を猛烈に攻撃し、アメリカの医療要員は勇敢にも敵の銃弾を恐れず傷ついた中国兵に寄り添い救助した。/1946年、尊敬すべき騰冲人民は、英雄的な中国兵士が永眠する墓苑に一基の記念碑を建立し、この地においてアメリカ人が示した奮闘ぶりを記念した。60年後、感動的な一事を記念するため、両国の人々は墜落したアメリカ人1人ひとりがそれぞれに注いだ心血を確認した。いま、あなた方は彼らのために再び記念碑を建立した。/私は凡てのアメリカ人を代表し、雲南人民が遥か昔の犠牲者に与えた栄誉に満腔の感謝の意を表す。これは、当時発生した凡ての事実に対する記念碑というだけではなく、現在、我ら2つの偉大なる国家における友誼の証である。/最高の祝福を/喬治・布什(ジョージ・ブッシュ)/2004年9月28日」(なお「/」は改行を示す)

 アメリカ大統領経験者が差し出した保山市市長ヘの書簡である。それだけの格式を持つ英文が指し示そうとする意味・語感が忠実に中国語訳に反映されているかどうかの判断は暫く措くとして、中国語訳だけを読む一般参観者は、日中戦争勃発以来、紆余曲折はあったもののアメリカと中国の関係は続いているだけでなく、「滇緬抗戦」という体験こそが「我ら2つの偉大なる国家における友誼の証」となっている。いわば「滇緬抗戦」が現在の米中両国を結び付けている――と読み取ることになるはず。

墓園全体で奏でる米中協力による「日寇殲滅」

 次に騰冲郊外の国殤墓園を訪ねた。

 第2次世界大戦で戦勝国となった中華民国の蔣介石政権が滇緬戦争で犠牲になった兵士を悼んで1945年に建設した、いわば国立墓園だ。国殤の「国」は中華人民共和国ではなく中華民国である。いうまでもなくこの墓園が建設された当時、この地上に中華人民共和国という共産党政権の国家は生まれていなかったからである。

 広い墓園に入るとすぐの目につくのが高さ1メートル(m)、直径1.5mほどの土饅頭状の「倭墓」である。日本兵が葬られているのだろうが、「倭」の文字に日本への敵愾心と戦勝国の驕りが強く感じられ、あまり良い気持ちはしない。

 倭墓を背にすると、目の前に広がる緑の芝生の上には農民兄弟が日本兵を打ち据える姿、母と子供とで援蔣ルートや日本軍を爆撃するための戦闘機用の滑走路建設用に石を砕く姿、男たちが道路建設現場で石のローラーを引く姿、若い女性が墜落した米軍航空兵を介護する姿、抗日戦線に赴く少年兵の健気な姿などのブロンズ像が置かれている。

 いちばん奥まった場所には胸を張った2人の米軍人像が建つ。足元は華やいだ生花で飾られている。向かって左が史迪威(スティルウェル)将軍で右が陳納徳(シェンノート)将軍。両者共にこの一帯における抗日戦争で軍功を挙げたが、蔣介石夫妻を間にして戦争の進め方をめぐって激しく対立していた。


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