それだけに、両将軍の像が親しげに立っている姿は一種異様だ。2人の将軍を共に抗日戦争の支援者だと仕立てたい中国当局の計らいに違いない。
像が建つ緑の広場の左側の奥まったところには、高さ5mで長さが30mほどの花崗岩の長大なレリーフの壁が建っている。ビルマ方面から蔣介石政権を支援するための「援蔣ルート」の建設に邁進する中国人の姿、延々と曲がりくねった山岳ルートを援助物資満載で疾駆する軍用トラックの車列、上空を飛ぶ米軍の輸送機や戦闘機、抗日に決起する住民、死をも恐れずに力戦敢闘する名もなき兵士たち――米中双方の将士による死力を尽くしての闘いと現地住民が献身的協力とによって「日寇殲滅」が達成されたという“物語”が、花崗岩の壁に刻まれていた。
墓園の中心は1人ひとりの兵士の墓碑がびっしりと並んだ段丘状の墓地。その手前に建つ忠烈祠に入って驚いた。正面中央の壁には孫文像。その右が中華民国国旗で左は中華民国軍旗。孫文像の下には「抗日忠烈 霊位」と記された位牌が鎮座している。
記録に準拠して建設当時の内装を再現しているとのこと。外観もまた建設当時を思わせるように汚れがない。
忠烈祠の左には「滇西抗戦盟軍陣亡将軍士官記念碑」と名づけられた石碑が建ち、「盟軍」、つまり米軍19人の死者の霊が祀られている。段丘状の墓でもそうだったが、ここでも花輪が手向けられ、死者への篤い思いが“演出”されていた。
これがブッシュの書簡中の「1946年、尊敬すべき騰冲人民は、英雄的な中国兵士が永眠する墓苑に一基の記念碑を建立し、この地においてアメリカ人が示した奮闘ぶりを記念した」に当たるのだろう。
ブロンズ像にせよ花崗岩にせよ、忠烈祠も含め、不思議なことに墓園全体に共産党の「き」の字はまったく感じられない。まるで1945年の創建当時にタイムスリップしたようだ。
漢族や少数民族を問わず名もなき地元住民も加わった米中協力による「日寇殲滅」への頌歌を、墓園全体が奏でている。加えて中国におけるこの種の施設と際立って違う点は、余りにも整備され、綺麗であることだ。これには何か裏がないわけがないだろう。
アメリカの関係者がVIP待遇で訪問
その「裏側」が見えるのが、2012年9月13日に国殤墓園で行われた式典にある。ミャンマー在住華人が旧戦場を歩き回って収集した遠征軍の遺骨を「帰国」させていた。
そこには、この一帯における対日戦争に深い繋がりを持つ関係者の血縁が3人参加している。戦争当時の英国第36歩兵師団のF・W・フェースティング師団長の息子、米陸軍退役大佐のJ・イースターブルーク、中国駐在米国大使館付武官のD・スティルウェル空軍准将である。退役大佐はスティルウェル将軍の外孫で、准将は遠縁に当たる。
当日、J・イースターブルークは「侵略者に対抗するため、米中両国軍人は肩を組んで作戦を展開した。こういう協力精神が永遠に続くことを切望する」と口にしているが、これはあくまでも私人としての発言である。
