2026年10月22日(木)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年10月22日

 政治的無力感は、この依存の結果として生まれる。国家に決定を委ねてきた社会では、市民が集団で政策を動かした経験が蓄積されにくい。抗議しても変わらないと考えれば、街頭に出ないことが合理的になる。

 フランスでは政府の譲歩が次の抗議を生み、日本では交渉経験の乏しさが次の沈黙を生む。違いは国民性ではなく、国家を交渉相手とする社会と、国家に保護を求めて決定を委ねる社会との違いである。

 日本では、不満が集団的要求より個人の適応へ向かう。家計は消費を減らし、現役世代は結婚や出産を先送りし、若者は将来への期待を引き下げる。

 街頭の静けさは同意を意味しない。デモの代わりに、消費の縮小、少子化、政治的無関心という静かな退出が進む。フランスの反発は騒がしい。日本の反発は静かである。

大きな政府を制御するのは誰か

 フランスでは、政府と市民の契約が膨張し、国家が約束した給付を財政的に維持しにくくなっている。2025年の財政赤字はGDP比5.1%、政府債務はGDP比112%を超えた。日本では、国民の明示的な選択を経ないまま政府が拡大し、誰の給付を守り、誰に負担を求めるのかという対立が官僚による調整の陰に隠れている。

 フランスの問題は、市民が国家に多くを要求しすぎることにある。日本の問題は、国家に保護を求め、その決定を市民が受け入れすぎることにある。日本が学ぶべきものは暴力的な抗議ではなく、自らの負担と受益を把握し、政府に説明を求め、その組み合わせを選択する市民の姿勢である。

 人口が減少し、経済成長が鈍化する社会では、すべての給付を維持することは難しい。問うべきなのは、何を公的に保障し、何を個人と地域社会に委ね、誰が費用を負担するのかを、市民自身が選び直すことである。

 フランスでは、国家が肥大化するほど市民の抵抗も強くなる。日本では、国家が肥大化するほど市民は決定から遠ざかる。フランスのデモは国家との交渉である。日本の静けさは国家への従属である。

 問われているのは政府の大きさだけではない。その政府を市民が統御しているのか、それとも政府が市民を管理しているのか、という問題なのである。

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