2026年11月9日(月)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2026年11月9日

写経とインバウンド――「体験」から「敬意」へ

 寺院での写経は、書と信仰と静寂が一体となった、日本ならではの体験である。御朱印が参拝の動機として爆発的に広まったように、写経もまた寺院を訪れる決定打になり得る。

 しかし現状では、まだ一部の愛好家のものにとどまっている。短時間から気軽に参加できる枠や多言語の解説を整えれば、国内外の参拝客を大きく呼び込めるはずだ。

 とりわけインバウンドへの展開は、市場拡大に絶大な効果をもたらす。外国人観光客の急増に複雑な感情を抱く人も少なくないが、写経や臨書に本気で取り組み、一定の水準に達した外国人には、日本人も自然と一目置くだろう。文化への敬意は、国籍を超えた相互の敬意を生む。

 逆もまた然りである。子どもから高齢者まで、日本人が今も日常的に筆を執り、高い水準で書を楽しんでいる「現在も生きている書」の姿は、書の本家を自負する中国や韓国からの観光客にも、驚きと敬意をもって受け止められるに違いない。

何よりも仮名書を

 日本の書道の独自性を語るうえで、最も大切なのは仮名書である。にもかかわらず、一般の関心はまだ薄い。書道といえば半紙に楷書、というイメージが根強く、流麗な仮名の美に触れる機会は限られている。

 惜しまれるのが、2024年の大河ドラマ『光る君へ』だ。紫式部が筆を執る場面は数多く描かれ、三跡の一人・藤原行成を渡辺大知さんが好演して強い印象を残した。平安の仮名文化が茶の間に届く絶好の機会だったが、それを仮名書ブームへとつなげる仕掛け――作中の書を手本にした臨書キットや、古筆の展覧会との連動企画など――は十分ではなかった。次の好機には、書道界とメディアが手を組み、「観て、書いてみる」流れを意識的に生み出してほしい。

タブレットと墨――ハイブリッドな継承

 最後に提案したいのは、デジタルとの共存である。臨書を広める上での障壁は、良い手本や添削の機会が身近にないことだ。

 タブレットを使えば、名品の高精細画像を拡大して筆の動きを確かめたり、運筆をアニメーションでたどったり、スタイラスで繰り返し練習したりできる。オンラインで添削を受けることも容易になる。

 ただし、すべてをデジタルに置き換える必要はない。むしろ本番の一枚に向かう前には、墨汁ではなく硯に向かって墨を磨る時間を大切にしたい。

 硯に水を落とし、ゆっくりと墨を磨る数分間は、スマホの通知から離れて心を整える、かけがえのない余白の時となりうる。効率はデジタルで、精神性はアナログで――そんなハイブリッドな在り方こそ、令和の書道にふさわしいのではないか。

 書道の価値は、博物館のガラスケースの中にあるのではない。年賀状の一筆、祝儀袋の表書き、子どもの書き初め――暮らしの中で筆を執る人がいる限り、書は生き続ける。

 登録を一過性のニュースで終わらせず、教育、鑑賞、組織、観光、そしてデジタルの各方面から、書を「誰もが参加できる文化」へと開いていくこと。それこそが、世界から託された遺産に応える道だろう。

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