高鍋の言葉にもあるようにアスリートにとって、自身のスタイルを変えることは難しく、一種の賭けにも等しい。競技者として大きな分岐点であることを覚悟したはずだ。しかし、失敗を恐れずに進むことしか人は成長できない。
以来、高鍋は休日や全体練習の時間外でも徹底した小手技の習得に取り組んでいった。
「打ち方というのは無限にあります。理想を言えば、面も小手も動作が同じでなければ相手にわかってしまいますので、ぎりぎりまで面なのか小手なのかわからない動きが良いとされますが、それは難しい」
「打つまでの過程は同じでも打ち方がまるで違います。相手もこちらの攻撃を避けようとしますから、打ち方も様々に変化させるため、その分体幹を鍛えなければなりませんし、瞬時に動かせる腕力も鍛えなければなりません。決め技はすぐに身に付くものではありませんが、面だけに頼っていた剣道から、小手という決め技を増やし、その応用からさらに突きを増やしていきました。最終的に私の決め技は面、小手、突きの三つになっていったのです」
この小手の習得という挑戦が後年の高鍋を作るキッカケとなるのだが、大輪の花が咲くまでには数年の時を必要とした。
次鋒の役割と対戦国分析の重要性を再認識
ふたつ目の学びは、団体戦における戦略的な駆け引きと状況判断である。
世界選手権台湾大会で高鍋は次鋒として出場した。その次鋒の役割について高鍋はこう語る。
「先鋒の勝敗によって戦い方が変わります。自分と相手の力関係を測りながら、チャンスがあれば攻め込みますが、無理な戦いを挑まず良い流れを受け継ぎながら、引き分けでも良いという選択肢を持って試合に臨むことが必要」
しかし、高鍋にはそれが出来なかった。高鍋というよりも日本にとってと言う方が正しいだろう。
剣道母国である日本代表には、同じ勝ちにしても勝ち方にはこだわりがあったのである。それは「圧倒して勝つ」ことだ。日本代表は勝ち方にこだわり、世界に範を示さねばならない。しかし、それは誰に教わるでもなく自分たちが作りあげたことであり、その勝ち方に自らプレッシャーという足かせを嵌めてしまったのである。対戦相手の前に剣道母国日本としての伝統が高い壁となって立ちふさがった。
その結果、「2本取らなければならない」という重圧にがんじがらめになった。