2024年11月22日(金)

あの負けがあってこそ

2015年1月26日

 「今だから言えることですが、あの試合で先鋒の内村良一は二本勝ちしていたのです。私の後ろは力のある先輩たちばかり。だから勝ちにいくという気持ちを抑えて無理をせずに戦えば良かったのです。あの試合の後からは、先鋒の勝敗によって次鋒はどう戦うべきかを考えるようになりました」

 こうした判断は素人が口を挟むところではないが、団体戦では星取りを考えながら、積極果敢に攻め込まず、また攻め込ませもせずに戦略的な思考をもって、勇気ある引き分けに持ち込むことも必要ということだ。それは己を滅して日本代表としての大義に活かすことに他ならない。

 そして三つ目の対戦国の情報分析についても課題が浮き彫りになった。

 「私が対戦したダニエル・ヤン選手は、以前日本で就職したこともある選手で、日本の剣道と同じものを学んでいました。ですが、当時の日本は韓国しかターゲットにしていなかったので、アメリカのことをほとんど調べていませんでした。逆にアメリカは徹底して日本を調べていたようです」

 「それなのに日本はアメリカには勝って当然、そのあとの韓国との決勝戦のことしか見えていなかったのです」

 「日本はそれまで先鋒、次鋒、中堅で勝ちパターンが出来ていたので、当たり前のように決勝戦で韓国と対戦するという驕りが、躓きとなって競技人生で最大の負けをもたらしたのです。試合に負けた日本は、その教訓として台湾大会以降、他国の研究をするように変わっていったのです」

かつて負けた相手と、もう一度対戦

 「以前の私は相手がどういう戦いをしてくるかと、相手の事ばかり考えていたのですが、自分がすべきことは『左手を上げない(わるい癖を出さないという意味)』『足を止めずに攻め続ける』『攻めと守りを迷わない』という三つを試合で出せれば、相手が誰であっても負けないという気持ちで臨むようになりました」

 世界選手権台湾大会の翌年、高鍋は全日本選手権で準優勝の成績を収めた。すると周囲の視線が気にならなくなった。さらに2009年の世界選手権ブラジル大会の日本代表にも選出された。

 準決勝でライバル韓国に競り勝ち、決勝はアメリカ。副将として出場した高鍋の対戦相手はダニエル・ヤン選手だった。アメリカは高鍋にヤン選手を当ててきたのだ。


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