「もう一度対戦できて良かったと思いました。同じ相手なので緊張しましたが、前回と違ったのは相手のことよりも自分がどう戦うかを前提に臨んだことです。相手の研究も十分にしていましたから、万全の状態で戦えたのではないでしょうか。試合結果は0-0の引き分けでしたが、日本代表は優勝し前回大会のリベンジを果たしました。できることは全てやりましたので、自分の中では台湾での負けも一区切りがつき、年齢的なこともあって日本代表を引くことになりました」
これで吹っ切れた。「これからは集中して全日本を取りに行く」とさらなる高みへと駆け上がっていくのである。
そして2009年から2012年までの「全日本警察剣道選手権大会」で3連覇(2011年は東日本大震災により中止)。2010年から「全日本剣道選手権大会」でも師匠宮崎正裕以来、12年ぶりに史上2人目の2連覇を遂げた。
再び代表へ 皆に背中を押されて
だが、競技人生のエンドロールまでには、もう一幕外せない物語が控えていた。
全日本選手権で2連覇を達成した直後に世界選手権イタリア大会出場の声が掛かったのである。世界選手権開催まではあと数か月。迷っている時間はなかった。出るとなれば年齢的に見て大将しかない。ただ、名誉なことではあるがリスクの方がはるかに大きかった。
国内最高峰のタイトルを2年連続で獲得し、自らの競技人生を大輪の花で飾らんとしている。しかし、ここで負ければ取り返しのつかない汚点となる。周囲には反対する声もあった。
高鍋は前回大会でリベンジを果たしているつもりだ。しかし、「それは日本代表としてのものではなかったか?」「個人的に本当にリベンジを果たしたと納得できるのだろうか?」と自問自答した。「高鍋が入ってまた負けた……」そんなことにもなりかねない。
そんな葛藤の繰り返しに答えをくれたのが、それまで2年間日本代表を引っ張ってきたキャプテン木和田大起の「先輩が来るのをみんな待っています。でも来るからには覚悟して来てください。勝ちも負けもみんな一緒です」という言葉であり、家族の「考えていること自体自分ではやりたいと思っているのよ」という高鍋の思いを汲んだ言葉だった。