安倍晋三総理の訪米まで1週間を切った。戦後70周年という日米関係にとっても大きな節目の年のこの訪米は、第二次世界大戦を挟んで大きく変化した日米関係のこれまでの歩みを振り返るとともに、日米関係の今後について日本が持つビジョンについて発信するまたとない機会となる。1945年までは血を流して戦った敵国同士が、戦後70年経った今、米国にとって、日本が世界で最も緊密な協力関係の一つとなっている日米関係の歴史は、大いなる「和解」の歴史だ。
そんな安倍総理の訪米に時期を合わせ、ワシントンでは日米安全保障協議委員会が開催される。日本から外務、防衛両大臣が、米国から国務、国防両長官が出席して行われるため、通称「2プラス2」と呼ばれるこの会議では、2013年秋以降、両国政府が進めてきた日米防衛協力の指針の見直し作業が完了したこととその内容が報告され、了承される予定だ。本稿を書いている時点では、防衛協力の指針の見直し作業自体はほぼ完了しており、現在は2プラス2会合終了後に発表される共同文書の内容についての最終的な詰めの作業に入っていると言われる。1997年以来約20年ぶりに行われた日米防衛協力の指針見直しの終了は、TPP合意(こちらはまだ最終的に決着するかどうかが不透明なようだが)と併せて、安倍総理訪米に際しての大きな政策上の成果になる。
日米防衛協力の指針の歴史
日米防衛協力の指針(通称「旧ガイドライン」)は1978年に設定された。旧ガイドラインは、日本有事の際の米軍と自衛隊の防衛協力についての方針を示すことが主な役割であり、旧ガイドラインの下では、「極東における事態」(朝鮮半島での有事など、北東アジアで緊急事態が発生した場合)における防衛協力については、その時々で随時、両国間で協議されることとなっていた。
冷戦後、1992~3年にかけて、北朝鮮が核不拡散条約(NPT)脱退を宣言したことで朝鮮半島において緊張が一気に高まった際に、この旧ガイドラインの不十分さが明らかになった。日米政府間の協議で日本から、朝鮮半島有事の際の米軍支援に対してほとんど前向きな回答が得られなかったのである。この反省を踏まえ、1990年代中盤に日米同盟を冷戦中の対共産圏陣営の同盟からアジア太平洋地域の平和と安定の礎という「公共財」として「再定義」しようとする日米両国の努力の一環として最初の日米防衛協力の指針の見直しが行われた。作業は1997年に完了し、現行のガイドラインが2プラス2会合で発表された。