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田部康喜のTV読本

2015年5月13日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

青年が成長していくとは

 TBSがこの作品を日曜劇場で手がけるのは、1980年以来二度目である。一話完結のドラマも1993年に制作している。それぞれが放映された時代相と、篤蔵の生き方は今回同様に重なり合うのだろう。

 篤蔵が料理の修行を急ぐのは、妻の俊子が妊娠したこともある。婿養子先を飛び出した篤蔵と離縁するように、俊子の父親は迫る。

 俊子は篤蔵の本心を確認しようと上京し、まさにそのときに身ごもっていることがわかるのである。

 青年が社会の入り口に立ったときに、まず何をなすべきか。一人前になるためにはどんな心構えが必要なのか。青年が成長していくとはどのようなことなのだろうか。

 さまざまな経験を自己の内面で結実しながら、成長していく「教養小説」というジャンルの永遠のテーマである。

 洗い場係として料理をまったく教えてもらえない篤蔵は、宇佐美の机の引き出しから盗んだ料理について書かれた分厚いノートを懐に隠している。料理場に戻ってみると、そこには包丁を研ぐ宇佐美がいた。宇佐美は篤蔵を諭すのだった。

 「教えないのは、学ばないからだ。傍で見ながら盗まなければ学べない。小さなことが大きな失敗につながる。鍋をうまく洗えないやつは料理がうまくならない。鍋を洗う。食器を磨く。包丁を研ぐ。それを続ける」

 篤蔵は盗んだノートを宇佐美に差し出して、頭を大きく下げて謝る。そして、いつもの罰である下駄で蹴られるのを覚悟で目を強く閉じる。

 宇佐美はいう。

 「俺も若いころに同じようなことをやったので、蹴るわけにはいかない」と。

 包丁を研ぐ音が響く。目を開けた篤蔵は、自分の下駄を両手に持つと思いっきり頭を殴り続けるのだった。

 青春時代をくぐり抜けて、一人前になった経験のあるひとなら、転機となった瞬間はあるものである。その瞬間に気づいたひとは幸せである。年月を経て、気づいても遅くはない。

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