2024年12月26日(木)

万葉から吹く風

2009年9月9日

 「もののあわれ」や、「わび、さび」の美学をおもんじる日本の古典文学は、「食欲不振の文学」であった。『源氏物語』や『枕草子』には、飲食の描写はほんのわずかしか出現しない。平安朝以来の和歌も、自然や心の動きの繊細な表現をしても、飲食のよろこびを率直にうたいあげることをしない。

 「もののあわれ」の美学が主流となる以前の『万葉集』には、食べ物や酒を主題に詠んだ、おおらかな歌がいくつもある。そのなかで、食いしん坊のわたしが好きなのは長意吉麻呂(ながのおきまろ)の歌である。

 醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ
 吾にな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)
                                                        
  (長意吉麻呂 巻16-3829)

 わたしゃ、ひしおと酢をまぜたものに、蒜を搗きこんだ鯛のあえものを食いたいんだ。水葱のスープみたいなつまらない食いものなんぞ見たくもないんだ。といった意味であろう。

photo :井上博道

 水葱とは、水田雑草のミズアオイの古名である。現在では、食用にすることはないので、とくに美味い植物ではないだろう。万葉集の時代には、昆布や鰹節のだしは普及していないし、味噌汁もなかった。水葱の羮は、食欲をそそるものではなさそうだ。

 この歌にでてくる鯛料理は、生で食べるものか、焼いたり、煮たりしたものだろうか?

 醤酢ということばに注目したとき、意吉麻呂の食べたかったのは、鯛の鱠(なます)であったと想定される。江戸時代にワサビ醤油で刺身を食べるようになる以前は、生魚には酢と調味料をあえて、鱠にして食べるのが普通であった。


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