2015年4月29日、安倍首相は日本国総理大臣として54年ぶりに米国議会の壇上に立ち、演説を行った。54年前の池田勇人首相、58年前の祖父・岸信介首相などに続き史上4人目。上下両院合同会議として米国国会議員が一堂に会した場においては、史上初だった。
戦後70年であることも手伝い、演説前には、慰安婦問題に対する謝罪は入れるのかといった「歴史認識」に関する表現ばかりに注目が集まっていた。
しかし、当の安倍首相の口からは「強い日本への改革」、「戦後国際平和を米国と築いた自負と維持への決意」、「女性の人権が侵されない世の中の実現」、「積極的平和主義」、「日米同盟の堅牢さ」など、未来に向けた強い意志が伝わる文言が発せられ続けた。
演説の表面的な文言からだけでは読み取れない安倍首相が発信したかったメッセージとは果たして何だったのか。そのメッセージを米国政府、国会議員、メディア、民衆はどう受けとったのか。日本はこれからどのように振る舞っていくべきか。3人の識者に縦横無尽に論じてもらった。
4月29日の午前11時(現地時間)から米議会の上下両院合同会議では安倍晋三首相のアドレス(スピーチ)が行われた。この合同議会は、毎年年初に行われる大統領の年頭一般教書演説と同じスタイルで行われ、外交上の格式としては申し分のない場となった。
27日に米国に到着して以来一連の行事をこなす中で、首相は今回の訪米には手応えを感じていたと思われる。ハーバード大での質疑応答、ホワイトハウスでのオバマ大統領との首脳会談と共同記者会見、そして「公式訪問」の格式を備えた晩餐会と、米国側の歓待は最上級であり、首相の弁舌も好評のようだったからだ。
特に大統領との共同記者会見では、一つのメッセージが発信されたことが意義深い。それは「中国の台頭」というアジアの現実を踏まえて日米がどう振る舞うかという宣言であった。オバマ大統領も安倍首相も、日米同盟は「中国を含めたアジアに貢献するもの」だとして、TPPも同様の趣旨だとした上で、中国を敵視したり刺激したりはしないが、適切な「バランス・オブ・パワー」を維持しながら、中国に対して国際社会のルールに基づくように誘導しようと言うものだ。
異例とも言える「核兵器の非人道性」を指摘した共同宣言についても、中国への牽制という文脈で考えれば納得が行くというものだ。
だが、肝心の議会演説では、そのメッセージはボケてしまった。それ以前の問題として、演説事態が今ひとつ精彩を欠くものとなったのである。議員が総立ちとなる恒例の「スタンディング・オベーション」は少なく、拍手も含めて盛り上がりに欠けたのだった。メディアの論評も冷淡であり、直後に出たのはAP通信とワシントン・ポストぐらいで、どちらも歴史認識の文言だけを捉えたもので、やや辛口の型通りのものであった。翌朝のニューヨーク・タイムズに至ってはTPP問題に絞った記事が出ただけで、その内容も「締結への意欲は見えたが決め手に欠ける内容」という渋い評価に留まった。