払拭できなかった「二枚舌」への疑念
歴史認識に関しては、過去から現在の安倍政権の「保守票に基盤を持つ」国内的な立ち位置、そして国際的に発信してきた「国際協調主義」の間にズレがある、つまり国内向けと国際社会向けの「二枚舌」ではないのか、という疑念が持たれていたのだが、それを払拭するには至らなかったと言える。
最大の問題は、「台頭する中国」という現実に対して、明確なメッセージが発信されなかったということだ。
第1次安倍政権当時から、米国のメディアや一部の政治家は、安倍首相自身の歴史認識については「修正主義ではないか?」という疑念を隠さなかった。中でも13年暮れの靖国神社参拝に際しては、駐日米国大使館が「失望」というコメントを出すという異例の対応となっている。今回の演説でも、首相の歴史認識が問われたのはその延長と言える。
では、何故米国は首相の歴史認識に敏感なのだろうか?戦勝国の米国としては敗戦国の日本に「屈服と恭順」の姿勢を強いたいからなのだろうか?
そうではない。米国が歴史認識に敏感なのは、「中国が戦勝国のレガシーを横取り」することに強く警戒をしているからだ。中華人民共和国は第2次大戦の参戦国でもないし、降伏文書の署名当事国でもない。にもかかわらず、中国の国民が戦禍という「被害者の正義」を掲げることで、いつの間にか「戦勝国レガシー」を持っているように行動している。その結果として、自分たちにとって「悪玉」である日本と同盟する米国にも不快感を向けて対抗してくるのだ。
これは多くの米兵の血で「太平洋の平和」を実現した米国としては到底許す事はできない。そのような状態を結果的に招いていることから、安倍首相周辺の「保守性」には神経質にならざるを得ないのである。
TPPも同様に中国に対して開かれた国際貿易ルールに従わせる、そのために環太平洋が開かれたルールの下で繁栄することを狙った戦略的なものに他ならない。日韓関係の改善に至っては、韓国が中国に接近するという悪夢を一刻も早く元に戻したいという米国の基本戦略から出ている。
今回の演説で、最も問題であったのは安倍政権の国内改革への意欲の部分だろう。女性の活用にしても、構造改革、規制改革にしても具体性はなく、インパクトに欠けた。これも日本という世界のGDP3位のエコノミーが、衰退することなく高付加価値化、成熟化を見せることで中国への「バランス・オブ・エコノミー」として機能することへの大きな期待に応えるものではなかった。
全体として、今回の安倍首相の米議会演説は、「台頭する中国」を国際社会のルールに従わせるための「適切な牽制」を行うパートナーとしては「強さ」に欠け、頼りない印象を残したと言える。
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◆Wedge2015年6月号より