アメリカでの活躍が認められ、翌シーズンはスペイン1部リーグの「Mideba」に誘われ、活動の舞台をヨーロッパに移しプロの車椅子バスケ選手として活躍。さらに翌シーズンは、ドイツRSV Lahn Dillに移籍し、ドイツリーグ、ブンデスリーガ優勝、POKALドイツカップ優勝、ヨーロッパチャンピオンズカップで優勝。
「アメリカでの5年間は環境も良く、結果も残せましたし、素晴らしいコーチに学ぶことができました。最高の環境でできたことに満足しています。
車椅子バスケはヨーロッパまで行ってプレーしているのでやり切った感はあります」
アイススレッジホッケー日本代表とブラジリアン柔術
ドイツから帰国後、「これから何をしようかな」と考えていたところへ、「アイススレッジホッケーをやらないか」と誘われた。日本にはヨーロッパのようなリーグがないので断ると、翌年開催の「ソチ・パラリンピックを目指せ」と言われ心が動いた。
体力を活かして短期間で日本代表に選ばれ、2013年に行われた世界選手権大会Bプールに出場、準優勝を果たした。
しかし、キャリアの短い堀江は、「ソチ・パラリンピック予選まで約1年しかない。このままじゃ上手くなれない」とオフシーズンを利用して再びアメリカ行きを決意する。
向かった先はシカゴだ。
「その当時イリノイ大学時代のチームメイトがアイススレッジホッケーのアメリカ代表にもなっていて、『こっちに来れば毎日リンクに乗れるよ』と言ってくれたので、居候させてもらいながら毎日練習に通いました。リンクの数は多いし使える時間もたくさんあるので、毎日いくつものリンクを移動しながら練習していました。」
帰国後、その成果は日本代表のファーストラインアップ(スタメン)選出という形に表れた。
残念ながら、予選敗退によりソチ・パラリンピック出場は叶わなかったものの、「スタメンを勝ち取ることができた」と自身のチャレンジを楽しめたと感じている。