私は憲法を専門にしていますが、結果にたどりつく過程に価値があるというのが憲法の基本的な発想です。結果も重要かもしれないけど、結果以上に、むしろそこまでの過程やプロセスに価値がある。イコール生きてゆく過程、生きるプロセスに大切な価値があるというのが、憲法の基本的な考え方ですから、自分なりの価値観や視点をもって、自分の足でしっかりと生きてゆくことができれば、生きてゆく過程そのものが幸せにつながってゆくのだろうなと思ったのです。
ですから、そうした生き方をする術を身につけることが勉強だろうと思います。また自分の頭で考えて、自分の価値観や視点をちゃんと持って、自分の足で歩んでゆくことができる、そのことこそが私は頭がいい生き方だと思うんですね。
――少子化社会でも学歴重視の日本独特のカルチャーは変わっていませんか。
変わっていないし、むしろ強くなっているのではないでしょうか。価値観が多様化している中でも、本音ではまだまだいい大学に行かせたいとか、少子化だからこそ思いが一人の子供に集中していることがあります。今まで子どもは二人とか三人に分散していていたのが、一人の子供に集中すると、余計に子供は負担を感じるような感じになってしまう。親の方も子供が一人なので、この子には成功してもらいたいという思いがより強く出てくる。さらには親だけでなく、おじいさん、おばあさんの期待もある。世帯によって違いますが、塾の費用を出してくれたり祖父母の期待まで集中してしまいます。
――伊藤さんの本を読んでいて「地頭の良さ」の必要性を連想しました。自分で考えて、発想して、行動できる力を涵養しようという思想が本書では貫徹しているような感じがします。
いまおっしゃった「地頭」の定義は、勉強に関する地頭だけではありません。大学受験で「地頭がいいやつは勉強ができるよね」と良く言いますが、もっと広いニュアンスです。勉強に限らず、周りをちゃんと見る力だとか、人との関係性だとか、相手の立場を想像したり、共感したりする、そういうことも含めての地頭、つまり、知性、理性、感性、すべての総合力みたいな地頭のイメージでしょうか。そうしたものを鍛えてゆくのは重要で、学校の勉強という一部だけをとらえて頭の良さとみるのは非常に残念なことです。
地頭の良さを、バランスのとれた成長に結びつけていったら、様々なことに対処できる。変化の激しい今の時代、ますます予想外のことが起こります。自然災害もそうだし、事故もそうだし、経済の変化もそうかもしれない。それにどう対処してゆくのか、ということが求められてくると思うんですね。その時に何があってもうまく対処していける力、というのがとても重要だとおもう。変化や多様性に対応できる力と言ってもいいでしょう。ダーウインでないが、大きくて力が強いことよりも変化に対応できることが生き残るために重要なことであり、種の保存だけでなく、一人の個人の人生において、うまく幸せな人生だったと思えるために大切なことだと思うんですね。
私は人生の成功者になってもらいたいと学生に言いますが、自分が幸せだと思うのと同時に社会の幸せの総量を増やす。私のもう一つのこの本のポイントは、自分がそうなることを通じて、社会に貢献する。社会の幸せの総量を増やすことに貢献してもらえたらうれしいなと思うのです。社会とのつながりを意識できる人間、そこがもう一つのポイントです。これは私の価値観で、みなそれぞれあると思いますが、社会とのつながりが何かを意識できると、私にとってはそれが幸せにつながるんですね。押しつける訳ではありませんが、そういうことも意識してもらえたらうれしいです。
――本書でもう一つ感じたのは、子供の教育のことを説きつつ、同時に親も成長してゆくのだよ、という伊藤さんのメッセージです。
まさにその通りです。最初この本を作ろうと思って出版社に相談した時に、子どもがどうして「単線の価値基準」になってしまうのかなという問題意識がありました。やはりそれは親のモノの考え方が投影されてしまうところが大きいのだろうと思います。親は子どもがいい大学に入って、いい企業に入ってそれが幸せなんだと期待してしまう。子供は素直ですから、親の期待に応えようと頑張る。本書は子供の頭を良くすると言っていますが、実は親の話でもあります。
そういう意味で、子供と一緒にいつまでも大人が成長してゆくプロセスの大事さを訴えたつもりです。人間はいつまでも成長できる。14歳までと書きましたが、ちょっと何か学びたいと思った時がチャンスです。自分の人生にとって一番若いのがいまこの瞬間です。これから何年生きるかわかりませんが、きょうこの瞬間が一番若いわけですから、今ここで何を考え、何を行動するのかが大事です。ここから先はいくらでも変えて行けるし、幸せになれるはずです。