エッセイ2・広島編
祈りの町
前に広島を旅したとき、風邪で咳き込み中止を迷った。しかし、病より好奇心が勝る性分は治しようがない。衰えた体力でふらつきながら新幹線に乗り込んだ。ところが西へ向かうほど喉の痛みも咳も和らぎ、取材で訪ねた宮島杓子の工房では、朝までのだるさが嘘のように背筋がのびる。宮島で仕事を終えたのち、広島市内のホテルで安静に過ごすつもりでいた予定を変更。下調べする余裕もなく旅立ったため、ならばまずはと広島駅駅ビルと百貨店の食品売り場、地元の名物を集めたアンテナショップやスーパーを巡り、みやげ菓子や食材を買い込む。土地土地に根づく食材を見たり買ったりは、趣味のひとつ。病み上がりで軽やかな心持ちがいつにも増して魅力的な地元食を捉えたこともあるだろうが、食に豊かな町で私のような食いしん坊はじっとしていられない。勢いついて広島流お好み焼きも味わい、どっぷり深い眠りについた。
それから翌朝の目覚めの爽快さたるや。旅こそなによりの薬と思い知る。とはいえ、無理せず昼には帰路につくため、ここだけは必ずと決めた、「原爆ドーム」や「平和記念資料館」が点在する「広島平和記念公園」へと向かう。
幼い日、『ひろしまのピカ』という絵本を祖母と読み、遠くから祈った先。祖母は祖父との結婚前、旧日本海軍の拠点だった港町・呉に暮らした。そこで潜水艦に乗っていた軍人の先夫を亡くし、富山の空襲で先妻を亡くした祖父と再婚したという。昔を話しては潤む祖母の目を見て子ども心にさまざまを悟った。慰霊碑前で黙祷をしたあと立ち寄った「中村屋」は、教会のように神聖な気配の喫茶店。僅かな滞在時間ながら旅できたことに感謝し、平穏な毎日を顧みた。
この旅では、「世界平和記念聖堂」の妙妙たる神々しさに息をのんだ。原子爆弾・戦争の犠牲者を追悼するとともに世界平和を願い、村野藤吾の設計で終戦から9年経った昭和29年に完成した教会。大聖堂での礼拝のひととき、窓から注ぐ無数の色彩が交わる光に、父の言葉を思い出す。「人それぞれ信じるものが同じとは限らない。隣の人が自分と異なるものを信じていたとしても、互いの違いを認め合うこと」。
帰りの新幹線で、込み上げるように書き留めた。「広島で出会った人、みなもの柔らかで優しくて。店や景色や味はもちろんだけれど、人のよさに胸がいっぱい。偶然などではきっとなくて、広島の人の気だては、たわやかなのだとしみじみ思う」と。
訪ねたところ~広島市篇~
「中村屋」
昭和21年、終戦直後の焼け野原の広島で、バラックからはじまった喫茶店。創業者は、大工の棟梁だった当代のおじいさま。路面電車が走る大通りに面した入口は、一見すると倉庫のような佇まい。ところが扉の向こう側は、小さな街の教会のような優麗で凛としたほの暗い光景。客は各テーブルごと設置されたライトの灯りの下、おのおの時間を過ごす。6メートルの天井からシャンデリアが2基下がるバルコニー付きの半地下と、絵画が壁を飾る1階の、2フロアからなる店。実は一度火災に遭い、以前の雰囲気を再現すべく新たに建てられた。火災の難を逃れた昭和30年代製・ラッキー社の直火式焙煎機でコーヒー豆を焙煎するのは、蝶ネクタイがよく似合うマスター。創業者の長女で絵画の先生でもあった奥さまと結ばれ、跡を継いだ。戦後の広島とともに時を刻む喫茶遺産だ。
住所:広島県広島市中区堺町1-5-15
TEL:082-231-5039