「内なる細菌」の喪失を憂える
「マイクロバイオーム」とは、訳者あとがきによると、ヒト体内の常在細菌とそれが発現する遺伝子群、および常在細菌とヒトの相互作用を含む広い概念を指す。
本書には、「マイクロバイオータ」という語も出てくる。細菌を含む微生物集団を「微生物相」(マイクロバイオータ)と呼ぶのだそうだ。
以前は、全生物をまとめた概念である「生物相」は「動物相」と「植物相」に二分され、細菌は植物相に含まれるという分類概念にもとづいて、細菌には「叢=フローラ」が用いられてきた。しかし、現在は「微生物相」に格上げされたので、細菌に「叢=フローラ」が用いられることはなくなったそうである。
日本では、私も含め、叢あるいはフローラという語をいまだに使っており、マイクロバイオータという語はあまり普及していない。こんなところにも、微生物をめぐる近年の急速な研究の進展がうかがえる。
とりわけ、”消えていく細菌やウイルス”が研究者のあいだで注目を集めている。これまでの感染症理解では、微生物の存在が病気の原因であると考えてきたのだが、今や、ある種の微生物が体内に”存在しない”ことが、人間の健康に負の影響を与えている可能性が指摘されているのである。
そもそもヒトの体は、約30兆個の細胞からなるが、目を凝らすと、ヒトとともに進化してきた約100兆個もの細菌や真菌の住処でもある。いいかえれば、私たちの体を構成する細胞の70~80%は、ヒト以外の細胞なのである。
ハウスシェアをしているすべての細菌を合わせると、重さは数キログラム。脳に匹敵し、どの臓器よりも重い。種類は約1万におよび、遺伝子総数でいえば200~800万個。ヒト遺伝子の百~数百倍にもなる。
地球という惑星に目を向けると、細菌は、現在地球上に暮らす約70億人の人間の総重量の約千倍に匹敵する。そのなかの選ばれた一部がヒトに常在し、協調しながら「私」をかたちづくっているのである。
<ヒトとともに古代からある細菌には、そこにあるための理由があり、ヒトの進化にもかかわってきた。それらを変えることは何であれ、潜在的対価をもたらすことになる。私たちは今、それらを大幅に変えている。払うべき対価がそこにはある。>
ブレイザーが「内なる細菌」の喪失を憂え、警鐘を鳴らすのもうなずける。