オトナの教養 週末の一冊

2015年9月27日

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中村宏之 (なかむら・ひろゆき)

ジャーナリスト

1967年生まれ。91年、慶應義塾大学経済学部卒、読売新聞東京本社入社。ロンドン特派員、米ハーバード大学国際問題研究所研究員、経済部デスク、調査研究本部主任研究員などを経て2017年4月より読売新聞東京本社メディア局編集部次長。『御社の寿命』、『世界を切り拓くビジネス・ローヤー』、(いずれも中央公論新社)など

 本書の第3章で筆者は調査報道について述べている。著者が引用している「現代ジャーナリズム事典」(三省堂、2014年)によると、調査報道とは〈当局者による「発表」に依拠することなく、独自の問題意識をもって、隠れている・隠されている事象を掘り起こし、報道すること。特に権力の不正や不作為などを対象とし、その時に取材・報道しなければ、歴史の波間に埋もれてしまう事実を掘り起こす報道を指す。「発表報道」に対置される概念であって、調査報道こそがジャーナリズムの本務であるとの考えもある〉とある。

 記者が調べて判断してゆく取材が「調査報道」であるが、その「覚悟」についても触れている。

 〈徹底的に取材し、事実関係を積み重ねて報じる。それによって相手の言い訳を封じ込めるばかりでなく、どこかのタイミングで報じた内容を相手に認めさせなければならない――というのは簡単だが、実行するにはとてつもない困難が付きまとう。極めて厄介で、まるで捜査当局のような調査技術と責任がたかだか一つの会社、時には一人の記者に求められるのだ〉

 同じ取材記者の一人として自分も全く同じ思いである。自分の経歴の中で、著者のような調査報道は全くできていないが、「そうあらねばならぬ」という意識だけは常に持っている。

 正直なところ、「●●によれば……」という取材は、実はまだ易しいのである。調査の一義的な責任は、多くの場合、行政機関などの当局にあるからだ。一方、調査報道は「▲▲新聞の調べ(取材)によると……」という形になる。これは、すべての責任をメディアが負うことを意味する。取材や報道で生じる結果に対する責任は当局取材に比べずっと重くなる。

 著者は指摘する。

 〈それまで発表されてこなかった事実をつかんだ時、その信憑性を担保できるのは自分しかいないからだ。そしてそれを世に出すためには、可能な限りの根拠を提示していく必要がある〉

 まさに同感である。だが調査報道には取材や事実関係の確認に多くの時間とコストがかかる。また自らの責任で報じなければならないリスクもある。日本に限らず、他の主要国でもこうしたことを好まないメディアがあるのもまた一つの現実だ。ただメディアの本来の役割を突き詰めてゆけば、取材や報道をしなければ埋もれてしまう事実を掘り起こすのが究極の使命であると私も思う。
報道の世界に身を置く以上、そうした使命に少しでも応えられるよう努力を重ねてゆきたいし、著者のようなロールモデル(お手本)に少しでも近づきたいと思う。ジャーナリストとしての「永遠の初心」に立ち返らせてくれる一冊である。

  
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