2024年11月22日(金)

石油を読む

2016年3月17日

 さてところで、80年代の原油マーケットは、ホーメイニー師のイラン革命に端を発した価格高騰(第二次石油ショック)と、世界経済のスランプから始まっていた。世界不況が、じわじわと、石油需要を減退させていた。OPEC(石油輸出国機構)カルテルは、需要減退に対応した加盟各国の生産制限割り当て交渉に、難渋し続けた。石油ビジネス関係者の間には、「将来、価格の大崩落が起こる」という不吉なウワサが広まった……。

原油先物取引、誕生!

 ここで、石油産業に大いなるイノベーションが起こる。終末論的な不安に捉われたまま、価格崩落を迎えるわけにはいかない。何か手を打つべきだ。すなわち、価格が将来下がる見通しが大いにありそうならば、今現在の価格レベルで、1年後の原油を売れないものか。誰か買い手を見つけてきて、今日の原油価格、例えば35ドルで価格を成約し、実際の原油の受け渡しを1年後、と決めておけばよい! これが先渡取引市場(Forward)である。

 このしくみを発明して、取引を定型化し、大規模にやり始めたのはロンドンのシェルグループのトレーディングチームだった。

 82年頃のことである。英国領北海で生産されるブレント原油を、先渡取引の対象原油とした。すぐに、同じくロンドンのBPのチームが相乗りしてきた。そして、ロンドンを拠点とする日本の総合商社たちも入ってきた。

 実はこの先渡し市場は、現物相対取引の“伝統”を受け継いでいた。ブレント原油の取引単位は60万バレルだ(タンカーの積取数量の最小単位は60万バレルだったものだから)。35ドル/バレルの成約ならば、商品代金は2千1百万ドルになる。

 こんな金額を信用取引するのだから、大企業の信用力をバックにしたトレーダー以外は相手にされない。信頼に足る紹介者がいないとクラブメンバーに入れない。なかなか敷居が高かったのだ。「ようこそ、ブレントクラブへ」という感じだった。


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