石油製品はそれぞれに、ローカル国際市場で相場が建つ。そこでイランの新原油値決め方式はこうだ。例えばシンガポール市場のガソリンのスポット価格を30%、灯油15%、軽油20%、重油35%、を加重平均すると原料としてのイラン原油が、シンガポールを中心とするアジア地域で精製・販売される場合の製品価値の見当がつく。この価値から、精製企業の精製費や利益要素、イランからアジアに原油を運ぶ船賃を差っ引くと、イランの積出港渡しの原油価格、すなわちFOB価格が逆算できる。イランは、この価格決定方式を「リアライゼイション」と呼んだ。「実質的な原油価値」と仮訳しておきます。
シェア奪還へと動いたサウジ
これは革命的だった。原油の買い手である石油精製企業には精製マージンが残る。ローカル製品市況が軟調になれば、原油価格が値下げ調整されるのだから。イランは販売シェアを伸ばした。が、サウジもシェア奪還に動く。85年10月から同工異曲の方式を工夫し、これを「ネットバック」と呼んだ。原油を、需要地での製品化価値として評価し、サウジの積出港渡しすなわちFOB価格まで“ネットバック”して値付けするのだ。サウジとイランが、新フォーミュラを競いあった。
既出の図によれば、シンガポールのガソリンスポット価格を54ドル/バーレル、灯油56ドル、軽油56ドル、重油35ドル、と想定すれば、これら製品価格を加重平均した「実質的な原油価値」が46.3ドルになる。精製企業側の精製費と利益分を3.8ドル、中東/シンガポール間の船賃を1ドル、と想定すると、シンガポール製品市場における「実質的な原油価値」から産油国の積出港(FOB)まで、「ネットバックした」原油価格が、41.5ドル/バーレル、と値付けられる。
こうなると、精製企業側は石油製品価格を需要家に高値で売り支える必要が薄れてしまう。そして1986年に、原油価格がスパイラル的に落ちて、10ドルを割った。
この大事件をOPECウオッチャーは「サウジとイランの対立が解決できず、シェア競争が加速し、カルテルが崩壊して原油相場が崩壊した」と説明する。
が、筆者はこう考える。産油国側は、消費国の石油製品需要サイドに原油価格決定権力を手渡してしまったのだ、と。だから、サウジとイランは大失敗に気付き、やがてネットバック方式を撤回した。そして、決定権は供給者側に回収されたのだ。(参照:『石油を読む 現物石油価格決定の裏事情~相場崩落の原因は供給サイドにあり?』2016年02月25日)