その後、北海、メキシコなどのいわゆる非OPEC原油の供給力がOPECと拮抗してくる。が、「今の国際原油価格は30ドルである」と宣言できる力、すなわち価格決定の権力はOPECにありつづけた。なぜか。OPECがカルテルを組んでいるからだ。非OPEC産油国は各国バラバラで、この権力を持ち得なかった。
では、OPECが価格決定権を手放して、誰かほかのプレイヤーの決める価格を受容する立場(Price Taker)に転落した節目は、いつだったのかというと、それは大きく2つあった。
第一の節目1985年
第一の節目は85年。
80年代前半の世界経済は、イランのホーメイニー革命に端を発する石油価格の急騰(第2次石油ショック)に因り低成長に転じ、また、消費国側が省エネを強化した。そのため石油需要が減退した。
ところがOPECは協調減産に合意できない。会議ではいつもサウジとイランが激しく対立した。サウジは自国の生産量を削ってOPECカルテルを維持しようとしていた。
そして85年年初、イランが原油値決め方式を“革命的に”変えた。アメリカ、ヨーロッパ、それにアジア向け価格を、それぞれの地域で取引されている石油製品のスポット価格を参照して決める、という提案をしてきた。石油精製会社が原油を製品化すると、たとえば、ガソリンが30%、灯油15%、軽油20%、重油35%の4製品が得られる。