「ハイムヌヤ ブールヌグラヌンキ ウヤシワリヨー」
日本最西端の島として知られる与那国島で見かけた立て看板に記されていた標語だ。「食べ物はぜんぶ残さず食べましょう」という意味の与那国方言だが、島では与那国の言葉で会話する人も多く、石垣島や沖縄本島の島民でも会話内容はまったくわからない。
今年3月、この最果ての島に陸上自衛隊の沿岸監視隊が配備された。島は軍備を拡張する中国を念頭に置いた、南西諸島を中心としたエリアの防衛を強化する「南西シフト」の最前線で、隊員はまさに「防人(さきもり)」の役割を担う。わずか人口1500人ほどの島は、自衛隊配備を巡って揉めに揉め、昨年2月の住民投票でようやく受け入れが決まった。島を訪れると想像以上にコミュニティーは狭い。島内に集落は3つあるが、島民はそれぞれほとんどが顔見知りだ。
国境の島に発生した「自衛隊バブル」
自衛隊基地の誘致賛成派であった与那国町議会の糸数健一議長は「沖縄は好むと好まざるにかかわらず、要衝の地にある。なかでも国境にあるこの島は、尖閣諸島に近く、とりわけ重要な位置にある。これまで基地がなかったのがおかしいぐらい」と話す。
与那国島は尖閣諸島への距離が約150キロともっとも近い島のひとつだ。沖縄本島へは約520キロ、台湾へは約110キロの場所に位置する。島には警察官が2人だけ駐在しており、「拳銃2丁のみで守られている島」と不安視されてきた。
同じく誘致を推進してきた与那国町長の外間守吉氏は「1970年代にベトナムのボートピープルが与那国島に流れ着いたが、彼らは開口一番『この島に軍隊はいないのか?』と聞いてきたそうだ。国境の島に軍隊がいるのは当然という認識があったようだが、あれから約40年が経ち、ようやく自衛隊が配備された」と話す。
「戦後、島には1万2000人ほどが暮らしていたが、一貫して減り続け、ついには1500人を割ってしまった。だが、自衛隊員とその家族が移り住んできたことにより、島民人口は10年前の水準に戻った」と喜ぶ。今年から自衛隊員160人とその家族90人を合わせた250人が新たに島民となったが、これは島民人口の約15%に相当し、そのインパクトは小さくない。