奈良の中山間地域に、稼働率95%を誇る農家レストランがある。大和伝統野菜を使った料理を提供する「清澄の里 粟(あわ)」。地元農家から野菜を買い取り、地域の経済を回す原動力となりつつ、伝統やコミュニティ機能の維持にも一役買っている。その取り組みは、地方創生のひとつのモデルを私たちに示してくれている。
伝統野菜が地域の活力を生む
奈良市の中心市街地から南東方向に車で15分。田んぼの続く田園地帯を抜け、大和盆地が山にぶつかるところに広がる集落が、粟のある旧五ヶ谷村だ。民家の間を通って坂道を上ると、小高い丘の上にその外観が見えてくる。まず目に飛び込んできたのはバルコニーで横になっている3頭のヤギ。窓が開け放たれた屋内からは女性客の明るい笑い声が聞こえてくる。扉を開けると、経営者の三浦雅之さんが笑顔で出迎えてくれた。
粟の特徴は大和野菜をふんだんに使った料理で、ミシュランガイドで一つ星も獲得した。店内には大小さまざまの伝統野菜がところ狭しと並べられている。これらの野菜は、三浦さんと妻の陽子さんが奈良県全域を回って分けてもらった種から育ったものだ。
「よそもの、わかもの、ばかものだった」という三浦さん夫妻は1998年、農業をするためにたまたま土地が借りられたという理由でこの地に移住してきた。もともと2人は福祉と医療の分野で働いていたが、高齢化に伴い要介護者が増える一方の対症療法的な医療と福祉のあり方に疑問を感じ、農業に転じたのだ。
「人が高齢になっても元気で幸せに生きていくために、予防医療ができないかと考えたんです。当時そんな言葉はまだ使われていなかったんですが。生涯現役で働けたり、助け合いがベースにある地域社会をもう一回構築できないかと考えたときに出会ったものが伝統野菜だった」
注目したのは伝統野菜を作る地域の生涯現役率が高く、健康寿命も長いということ。加えて集落の機能が豊かになっていたり、伝統芸能が残っていたりと、伝統野菜があることによってコミュニティが活気づいていると気づいたのだ。「地域の新しい医療とか福祉のモデルをつくっていく、その切り口として注目したんです」
もともと気候風土に適していて、栽培しやすく、おいしいという理由でつくられてきた伝統野菜。しかし収穫後の調整に手間がかかる、大量生産に向かない、晩生(おくて)の品種が多く高値が期待できない――といった理由で次第につくられなくなり、「すごい勢いでなくなっている」(三浦さん)のが現状だ。
伝統野菜の種を保存し伝えていく重要性をどうすればわかってもらえるのか。頭を悩ませる中で考え付いたのが、伝統野菜を食べられるレストランをつくってそのおいしさを知ってもらえば、より多くの人に興味を持ってもらえるのではないかということ。2001年に粟を開店するとその狙いは的中し、今では奈良市内にほかに2店舗を構えるまでになった。