ここで重要なのは右上象限の「協業」だ。簡潔に説明するためにWin-Winと書いたが、私の持っているネゴシエーションの教科書には、"Wise outcome reached amicably and efficiently"とある。つまり「友好裏かつ効率的に導かれた賢明なる結果」ということだ。
今回の大統領選ではあまりクローズアップされていないが、毎回大きな争点になるのが人工妊娠中絶問題である。中絶に対しては、産む・産まないを決めるのは女性の権利である、とする立場と、神から託された命を奪うことは許されない、という立場があり、それらは決して交わることがない。どんなにディベートして相手の脛の傷や失言を非難したところで、一方が他方に迎合することはないのである。そして完全勝利を目指すのであれば、核ミサイルを撃ち込んで相手を根絶やしにしてやるという発想にもつながる。
実際、極右的中絶反対派が、中絶処置を行った医師を殺害する事件も起きている。だが「賢明なる結果」を目指す立場はそうではない。女性の権利を主張する者であっても、むやみやたらの中絶を推奨するものではない。また中絶反対派も、性犯罪の被害者や経済的に困窮することが自明である出産を心苦しく思わない訳ではない。そんな中、望まない妊娠を少しでも減らすべく、青少年におけるバースコントロールの啓蒙と、その教育の整備のための基金設立というのは、立場を超えて合意できるはずのものである。決して交わることのない立場同士が、一つのディレクションを共に目指す。これこそが右上象限の「協業」の真髄である。
全て「対決」となるトランプの外交論
メキシコの費用で国境に壁をつくらせる、中国から仕事を奪い返す、日本に防衛費のツケを払わせる。振り返ってみると、トランプが唱える外交論は、全て左上の「対決」の象限に落ちる。米国民に「勝利」を約束するトランプは、だからこそ「負け続けている」と感じている一部の層から熱狂的な指示を生んでいるのである。
一方でクリントンの外交論は右上の「協業」象限に収まるものが少なくない。経済のグローバル化がここまで進み、その歪みとしての格差が拡大し、そしてその不満と憎悪を背景としたテロが起きる世界。その中で一人だけが「勝利」をし続けることはあり得ないし、現在の環境での「勝利」はまた新たな不満・憎悪の連鎖を生む。だからこそ、「賢明なる結果」をもたらすべきだという立場のクリントン。日本人ビジネスマンの立場でどちらの候補が好ましいかは言うまでもないが、当事者であるアメリカ人がどのような判断を下すのか、大いに注目したい。