2024年11月24日(日)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2016年12月2日

 シリアの和平については、これまでいくつもの構想が発表され、国連のデミストゥラ・シリア特使などが努力しましたが、具体化に至っていません。和平の前提である停戦については、人道上の見地などから、何度か実現されましたが、米ロの思惑の違いなどがあって、いずれも短命に終わっています。

 タキーは和平が成立するとすれば、権限の分割しかないと言っています。統一シリアの復活はありえないということです。その通りでしょう。アサドが再びシリア全土を統治することも、反政府グループがアサド政権を倒してシリア全体を支配することも考えられません。

 権限の分割は、シリアの民族、宗教の違いに基づいて行われ、各グループがそれぞれの支配地域をもち、それが弱い連邦制の下で共存するという構想です。内戦の戦闘グループがこのような権限の分割に合意するか、グループごとの支配地域の線引きをどのようにするかなど、難題が山積していますが、統一シリアの復活がないとすれば、権限の分割が唯一の選択肢ということになるのでしょう。

 ただ、このような体制をいかに維持するかについて、タキーは、それは外部勢力による長期の占領があって初めて可能であると言っていますが、西側諸国が20世紀初めに行ったような実力行使というのは、植民地政策です。

 はたしてそのようなことは可能でしょうか。平和維持軍的な役割であれば可能とも思われますが、タキーは「占領」とか「実力行使」といった表現を使っており、平和維持軍とは異なる軍事力による監視と、必要な場合の行使を考えています。米ロがそのような役割を共有できるのか、そもそも米国がそのような軍事力の行使に賛同するか、疑問です。

 タキーはシリア内戦をかつてのレバノン内戦と比較しています。レバノンでもキリスト教徒、スンニ派、シーア派の間の微妙なバランスが崩れ、1970年代半ばに内戦に突入しました。レバノン内戦が1991年に終結したのは、冷戦の終結でロシアが西側との関係改善を求め、中東で建設的役割を果たそうとしたこと、イランでラフサンジャーニがサウジとの関係改善を図ったこと、などの要因が重なったためと言っていますが、現在シリアをめぐって類似の国際政治環境の変化は望むべくもありません。

 タキー自身、自分の構想の実現が困難であることは十分承知しているようです。それが証拠に、論説の結末で、シリア内戦の早期終結は望めず、シリアは炎上し続ける、と言っています。
結局、シリアの和平は解のない方程式を解くようなもので、少なくとも当分の間は答えは出ないということになります。

  
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