2024年7月23日(火)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年12月16日

 「不安で不安で、仕方なかった。アメリカに残っても先がないし、勢い良く出てきた手前、日本には戻れない。韓国でプレーすることを決めた。また、違った野球も経験できる」

 09年4月14日、韓国のプロ野球チームSKワイバーンズと契約。1年目は8勝をあげ、2年目は開幕投手を務めるなど14勝を記録。

 「外国人、ベテランだが、特別扱いだけはしないでくれ、とお願いした。ランニングメニューも、夜間練習も、すべてこなした」

 翌11年は三星ライオンズと契約し、日韓プロ通算100勝を達成。しかし、かねてから痛めていた膝の状態が悪化。前半戦が終わる7月21日に球団からウェーバー公示され、退団となった。

 「膝も手術し、引退も考えた。ただ、まだ肩と肘は生きている。完全燃焼したかった」

 翌12年、北海道伊達市のクラブチーム・伊達聖ケ丘病院硬式野球部に入団。都市対抗予選では7回参考ながら完全試合を達成。JR北海道の補強選手として都市対抗野球大会にも出場した。同年11月、プロ野球合同トライアウトに参加。NPB復帰を目指した。

 「一生懸命投げた。でも、ストレートが140キロを超えなくてね。これで、引退しようと思った」

 プロ16年間に、クラブチームでの1年。17年に及んだ野球人生に幕を下ろした。

 引退後、15年まで韓国の三星ライオンズにコーチとして就任する。指導したバンデンハークは大活躍し、後に入団するソフトバンクホークスでも活躍を続けている。

 「指導した選手が活躍する喜びも、コーチとしてのやりがいだよね」

 現在、野球解説のほか、子どもたちへの野球指導にも力を入れている。

 「日本の野球って、本当に素晴らしいと思う。何より、技術力の高さ。こういったことを、伝えていきたい」

 様々な場所でプレーしてきたからこそ、伝えられることがある。

 「いつかは日本のプロ野球でコーチをやりたい」

 胸を張って話す門倉が、一層大きく見えた。(文中敬称略)


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