一方で、各国の状況を見ると、若者が政治を動かすシーンも目立っている。この間、香港では雨傘革命が起こり、台湾ではひまわり運動があり、スペインでは大学発の政党「ポデモス」がキャスティグ・ボードを握り、韓国では学生が主体となって大統領辞任要求デモを行っている。
昨秋、私は台湾の大学で教鞭を取っていたが、台湾の学生たちは溢れんばかりの熱意と深い国際法上の知見を持って、自分たちの国家のあり方を論じてくれた。3月に訪ねたスペインの学生たちは既存政党による政治の限界を語り、年末にソウルで出会った大学院生たちも大統領制が抱える構造的欠陥や民主主義の制度内においてデモを行うことの意義について熱心に解説してくれた。
日本ではどうか。2015年夏のいわゆる安全保障関連法案審議をめぐる首相官邸前でのデモンストレーションでは学生団体の積極的な活動が注目された。各国の日本研究者も、主張をしなくなっていた日本の青年たちがついに立ち上がったと、ある種の期待を持ってこれを迎えていた。しかし、彼らは香港や台湾、スペインのように政党を立ち上げて国会に議員を送ることはなく、翌年には活動を停止し、解散した。
彼らの「挫折」を嘆く向きもある。しかし、それは永田町にしか「政治」を見いださなくなっている、メディアに犯された大人たちの狭い政治観がなせるものだろう。若者たちの関心はそこにはない。
投票に行っても何も変わらない、デモをしても政治は変わらない。こうした社会を作ってきたのは今の大人たちである。「国の政策に対してどの程度民意が反映されていると思うか」という内閣府の調査に対して、反映されていないとする回答は1983年の51.1%から2015年には66.8%まで上昇している。政治に自分の意見が届いていると感じる「政治的有効性感覚」はきわめて低下している。くわえてこの世代は1980年代後半以降、政治腐敗が立て続けに報じられるなかで育った。政治に期待せず、それと距離を置くことは当然であろう。それにも関わらず国際平均と同じ水準で「政治に関心がある」と答えていることは驚異的と言うべきだろう。
では、その高い関心はどこに向かっているのだろうか。彼ら彼女らは政治とは異なるパスを持って、自分たちが直面する問題に正面から向き合い、それを動かそうとしている。いくつか実例を紹介してみよう。
目下、女子大生を悩ます最大の問題
目下、女子学生を悩ます最大の問題は仕事と家庭の「両立」である。一方で「一億総活躍」といわれ、一方では出産と育児を求められる。学生たちは「両立」できる自分を目指して奮闘する。ところがこれまで彼女たちが相談してきた母親は、この問題にあってロールモデルたり得ない。その多くが就職してほどなく結婚し、専業主婦として育児に専念してきたからだ。彼女たちの将来への不安は増幅する。