そうしたことを考えてたどりついた一つの考えが、冒頭に書いた「事件がこれほど大きな国際的波紋を生むなどとは予想しなかったのではないか」というものだ。
1月に出版された『新版 北朝鮮入門』(東洋経済新報社)という入門書を私と一緒に書いた礒﨑敦仁・慶応大准教授に聞くと「同感だ」という言葉とともに、金正日生誕75周年の記念大会に出てきた金正恩氏の姿についての感想が返ってきた。「金正恩委員長が公式の場にデビューして以来、北朝鮮の新聞やテレビを通じて6年半ほどその表情を見てきたが、今回はとても違和感があった。印象論に過ぎないのだが、怒っているように見えて、疲れ切った感じだ。会議の内容にも上の空の様子に見えた」というものだ。事件を巡る想定外の波紋に憔悴したと考える余地があるということだろう。
おそらく私の考えは、木村幹・神戸大大学院教授の唱える「朝鮮半島の国家には歴史的な影響から自らを小国だと規定する小国意識が抜き難くある」という小国意識論に影響を受けたものだ。だから木村教授にも聞いてみると、「金正男氏の国際的な知名度と注目度を誤認したのだろう」と話してくれた。
木村教授はさらに「どうせ我が国なんて大した存在じゃないから、多少の事を言ったりやったりしても、大ごとにはならないはずだ、というのは南北に共通している。それが『小国意識』というものだ」と続けた。本稿は北朝鮮に関するものなので韓国については深く触れないが、実は、慰安婦問題を象徴する少女像や日韓合意に対する韓国内の議論を見ていても同じ思いにとらわれるのである。木村教授の考え方は、私の感覚と符合している。
繰り返しになるが、今回の事件に関する論評はどれも「可能性」を論じたものでしかない。その一つとして、「想定外の波紋に驚く北朝鮮」と見ることもできる。絶対にそうだという材料があるわけではないのだが、私にはそう見えるのである。
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