小さな町の郷土資料館的ミュージアム
シカゴの市街地から南下して30分も走ると周囲は地平線までトウモロコシ畑一色となる。高校地理の時間に習ったコーンベルト、グレートプレーン(大平原)などという言葉を思い出す。
昼前にJolietという中西部の典型的な田舎町に到着。『ルート66ミュージアム』を見学。1920年築の立派な石造りの二階建ての元雑貨屋(grocery store)を改装したものである。一階のメインの展示物は1930年代の化学消防車だ。手押しポンプで消化液を放射したと説明がある。
一階の四面の白壁には一面に男性の顔写真が飾ってあることに気づいた。すべてJolietから戦場に出征した地元の男たちであった。職業は農業・学生が多いが運転手、修理工、大工、コックなど様々である。戦死した兵士も多い。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、湾岸戦争、砂漠の砂嵐作戦と順番に並んでいる。第二次大戦以降もイリノイ州の片田舎の町から戦争のたびに若者が出征して何人も戦死しているという厳粛な事実に圧倒された。
日本が日米安保条約のお陰で平和を享受していた70年のあいだ米国では何度も普通の若者が出征して戦死していたのだ。しかも現在進行形だ。米軍というと原子力空母や大陸間弾道ミサイルなど圧倒的軍事力や巨大組織をイメージするが実際には“ふつう”の生身の若者が米軍を支えている。
米国の“ふつうの若者”の犠牲の上に平和を享受してきたことを日本人はどう考えるべきなのだろうか。
静謐のなかに翻る7本の旗
4月16日。オクラホマ州のWhetherfordという町は中西部の静かな町である。ルート66旧道に沿って州立大学を過ぎて町の西はずれに至ると美しい芝生に覆われた小高い丘が現れた。
中心の丘の頂上は公園のように整備されて七本の旗が風に翻っていた。フラッグポールの礎石にはそれぞれ星条旗、オクラホマ州旗、陸軍、海軍、海兵隊、空軍、州兵と記されていた。公園のような空間は戦没者慰霊碑だった。献花におおわれ真新しい。戦役、氏名、階級、享年、生年月日などが御影石に刻まれている。21世紀になっても何人もの戦死者が刻まれている。