日本の戦没者慰霊碑
日本でも各市町村には戦没者慰霊碑があり慰霊碑の後ろには出身部落・氏名・階級などが記載されている。私の住んでいる町は戦前には人口2000人程度の村であったが神社の慰霊碑によると日露戦争で十数名、太平洋戦争では30人以上が戦死している。
しかし戦後日本では日米安保条約のお陰で70年間も戦死者はゼロであり国民意識から“戦死”という概念は死語となっているように思われる。そのせいか戦没者慰霊碑は全国どこでもひっそりと木陰に佇んでおり目立つことはない。“お国のために戦い亡くなった幾多の英霊”に対する畏敬の念そのものが風化しているように思われる。
日本は米国の貧困層の若者が払っている血税の実態を認識しているのか
ベトナム戦争後ドラフト制度(徴兵制度)は廃止された。職業軍人である士官以外の一般兵士は志願兵である。湾岸戦争で捕虜となった女性兵士が奨学金を得て大学進学するために志願したという話は当時有名になった。現在の志願兵制度下では下層階級出身の若者が奨学金目的で兵役を志願するという傾向がより顕著になっていると聞く。
米国は世界で最も貧富の差が大きい格差社会だ。有名大学の学費は高く、しかも有名大学においては有力者の子弟は推薦制度により選抜試験でも有利である。このような社会では一発逆転を狙う下層階級の若者は兵役を志願せざるを得ない。
米軍に安全保障を“お任せ”しているのに“集団的自衛権に関する法律”に反対して“戦争法廃止”と叫んでいる日本のリベラルと称する人たちは米国の貧しい若者の犠牲をどのように考えているのであろうか。
日本陸軍、軍医の軍用行李
4月12日(火)カンザス州のBaxtar Springsという田舎町の郷土資料館(Heritage & Museum)に立ち寄った。ボランティアのお年寄りが何か聞くと丁寧に説明してくれる。
そして展示品で最も多いのが例により南北戦争からベトナム戦争まで従軍した郷土出身将兵の遺品・記念品の類である。出征、従軍はいつの時代でも田舎町の青年にとっては一世一代の出来事である。軍服、軍帽、勲章、徽章、階級章、感状など大事に保管されてきた遺品が並ぶ。
第二次大戦の太平洋戦争のコーナーでは毛筆で多数の人間が署名した“日の丸”があった。出征兵士の武運長久を祈ったものだ。当人の氏名、出身地や百名近い人々の名前が明瞭に読み取れる。そして“千人針”と思しき布も。説明によると制圧した塹壕や洞窟から見つかった日本軍の遺品だ。
飯盒、手帳、腕時計、軍刀、拳銃などおびただしい数である。医薬品や手術道具の入った軍用行李があった。所属階級氏名も読み取れた。持ち主は戦死した陸軍軍医大尉だった。静かなカンザスの田舎町の歴史の記録として日本の無名戦士の遺品が大切に展示されていた。