本人の「できたかな」、「やれたかな」に合わせる
日ごろから意識的にその人のことを観察していると、行動や様子などその人のいろいろな点が見えてきます。
そうして見つけた点を本人にポジティブに伝えましょう。
自分の出来ているところ、自分が認められているところを知るたびに、その人にとっての自信の「種」が植わっていきます。
特に子どもは、周囲の大人から渡された言葉によって育ちます。
周囲と自分を比較して客観視するという力がまだ育っていない子どもにとって、自分自身を知るすべは親を始めとした周囲の大人からの言葉だからです。
「あなたは〇〇〇できる子ね」と伝えられて、自分はそういう力を持った人なんだと意識する。意識するからその行動をさらに取るようになる。さらに行動するから、得意にもなるし、「自分自身はこうだ」という自我にもつながっていくのです。
社会人でも同じです。初めて就く仕事のやり方を教わった時のことを思い出してください。
何をどうするのかは頭で分かっても、それだけでは「よしやれる」と自信が出るとはなりませんよね。「自分にできるだろうか」、また、「できているだろうか」という不安はあったと思います。
ともかくやってみて、「うん、お客様の要望をくみ取る時に、ペースが合わせられていていいね」とか「重要な点が簡潔に押さえられていて分かりやすいね。あとは報告のタイミングだけ気を付けよう」など、できている点のフィードバックをもらうことで、やれそうだという気持ちを1つ1つ作ることができたのではないでしょうか。
ここでポイントは、「~できますね」「~が得意だね」と声をかけるのは、本人自身が何らかの手ごたえを感じたタイミングで行うのが、ベストだということです。
自分自身が「できたかな」、「やれたかな」と、確信するほどではないけれどできた気がする時に、「できているね」と声をかけられることで、「自分は確かにできたんだ。できるんだ」という自信の種が植わるのです。
この自信の種は、できる体験を繰り返すことで芽を出し太く大きく育っていきます。
フィードバックをもらいながら自信を育てていくうちに、自分自身の成長を自分で見つける目も養われていきますから、自分自身を信じる力がついていきます。
出来ても自信につながらない時
ところが、結果としては出来ているのに本人の自信につながらないということもあります。それは、自分の選択や意思がないままに行動して、結果的に出来てしまった時です。
たとえば子どもの勉強で、いつ何をやるのかを親が全部決めて、「次はこれ」「その問題はこうやって解けばもっと速くできるでしょ」「答え合わせはママがやっておくから、あなたはこれをしなさい」答え合わせの後で「これとそれが間違っていたから、もう一度解きなさい」と進めて、宿題全部できたね、解けたねと褒めても、子どもは自分ができるようになったとは思いません。
「今日も宿題が終わった。良かった」と思うのがせいぜいです。